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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史66(JFA50年史より)
当初は原皮を海外から輸入し、海外(とくに中国)か
ら職人を入れたりしてコートなどを生産していたが、
旺盛な需要にはとうてい間に合わないことから製品輸
入が増大した。 |
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史67(JFA50年史より)
輸入統計によると、1972年でわずか十億円だった
毛皮最終製品の輸入金額は、1975年には109億円、
1981年には454億円と膨らんでいる。
また大量生産大量販売のシステムが確立し、誰でも
毛皮を買えるようになった。大手商社が毛皮ビジネスに
参入したことも毛皮市場の拡大に弾みをつけた。
一方で、市場が拡大し生産スケールが大規模になって
いくにつれ、在庫も増大し、やがて問題化していく。 |
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史76(JFA50年史より)
バブル経済の崩壊により、毛皮市場も停滞を強いられた。また、
欧米では1980年代後半から狂信的な動物権利運動が起こり、
これも世界的な毛皮需要の減退の一因をなした。
動物権利運動は、その行き過ぎた理念ゆえに1994~1995年頃には
沈静化するが、世界の毛皮産業に少なからぬダメージを与えた。
長年の悲願だった物品税は消費税の導入とともに1987年(昭和2)に
廃止されたが、国内の小売市場規模は推定で90年2000億円、91年
1800億円と、ピーク時を大きく下回り、毛皮業界は売り上げ不振下、
人件費や金利負担の増大などが重くのしかかった。 |
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史68(JFA50年史より)
円高により拡大に歯止め
毛皮市場は、1970年代後半から百貨店を中心に
売り場の構築が進み、消費の拡大傾向もあって売り上
げは増加、1980年代に入ると燭熟期を迎える。
物品税から推計した毛皮の小売り規模は1975年
730億円、76年940億円と急増し、77年は1080億円と
はじめて千億円台に乗り、78年1280億円、79年1500億円、
80年1800億円、81年2300億円と拡大に次ぐ拡大を続けた
伸び率が鈍化したのは82年から。82年は前年比4パーセントと
1970年以降では最低の伸び率で2400億円、83年は同8パーセント増の
2600億円、84年は6パーセント増の2750億円と一桁成長が
続き、同年がピークの年となった。 |
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史69(JFA50年史より)
力強い成長を続けてきた毛皮市場だが、80年代半ばに入ると内外要因により停滞を余儀なくされた。85年は前年比5パーセント減と、プームの反動期
を除いてはじめてマイナス成長を記録した。翌86年
は2700億円と再び増勢に転じたが、以降は縮小基調をたどることになる。
毛皮市場の縮小をもたらした原因は、「円高」である。プラザ合意により、円高が国際的に定着し、1ドル160円を割り込む円高の下、原材料および製品の大半を輸入に依存する毛皮業界は、その影響を真っ向から受けた。 |
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史70(JFA50年史より)
毛皮の原材料は主に12月から3月にかけて調達す
るが、仕入れた原材料はタンニング、染色、縫製加工を経
て、9月から10月にかけて市場に出回る。原材料の輸
入から製品として販売されるまで約1年の期間が必要
となる。 |
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史71(JFA50年史より)
85年の場合、二月を中心とした仕入時期には1ドル260円だった
為替相場が、実際の販売時には220円前後にまで円が上昇したため、
「在庫の価値の目減り」という大きな差損が発生した。
輸入動向からみると、84年は前年比52パーセント増という空前の
伸びを示し、総輸入高は930億円に達したが、市場規模は6パーセントの
伸びにとどまり、毛皮業者は大量の在庫を抱えることになった。 |
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史72(JFA50年史より)
発展を続けてきた毛皮市場だが、この頃から成長の歪みが顕在化してくる。
85年の総輸入高は前年比22パーセント減と輸入は抑制されたが、滞留在庫は十分に消化されたわけではなく、加えて販売チャネルの多様化により新規参入業者による完成品の輸入が増大し、その結果、粗悪品が増え
価格競争が激化した。また、年間を通してバーゲンセール、ディスカウン
トセールが行われ、こうした乱売合戦が品質志向に目覚めた消費者の購買意欲を低下させた。 |
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史73(JFA50年史より)
円高により輸入コストは減少したが、価格競争による薄利多売傾向が
強まり販売単価はダウン。85年の販売着数は59万着と前年並みを確保し
たのに対し、平均単価は前年の34万円から32万2千円と5パーセント
低下し、市場はマイナス成長となり、毛皮業者にとっては実質利益が
薄くなるという現象も起きてきた。 |
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史74(JFA50年史より)
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| 半面、円高のメリットも出てきた。86年の小売市場は前年比4パーセント |
| 増の2700億円にまで回復したが、これは原材料のオークションが底値を |
| 示したことに加え円高·ドル安による輸入コストの減少により小売価格が |
| 下がったことが大きい。また本物志向のニーズに対応した |
| デザイン提案などが消費者の購入を促した。 |
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史75(JFA50年史より)
87年初頭のオークションで原材料は前年とは一転、高騰し、年明け
以降のセールで在庫を一掃しようと満を持していた販売者サイドの
出鼻を挫いた。原毛皮の高騰により在庫価値が変動したため
「在庫調整」をせざるを得なくなり、売るに売れない状態となった。
原材料の高騰·急落は、しばしば毛皮業者の販売計画を狂せた。 |
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史77(JFA50年史より)
小売市場は95年で1000億円にまで縮小した。毛皮素材別のシェアは、
シェアードミンク40パーセント、ミンク20パーセント、
フォックス(トリミングが主体)10パーセント、その他30パーセントといった割合。
小売市場は97年で650億円にまで低下。 |
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史78(JFA50年史より)
ファーファッションの創造へ
1990年以降毛皮の原料加工技術も毛皮の普及とともに向上し、
染色、プリント、ダブルフェース加工、刈り毛、抜き毛など、
さまざまな技術が導入改善され、技術革新とともに新しい毛皮が
市場に送り出されていった。80年代後半から90年代はじめにかけては、
こうした加工技術の改良をベースに、毛皮ファッションの多様化が進んだ。
素材では、恒常化しつつある暖冬対策として、ソフトでライトな毛皮が
開発された。またミンク一辺倒の市場から、トリミングを主体とした
フォックス、価格的に購入しやすいラム、さらにリス、ヌートリア、
ラビット、マスクラット、ウィーゼルなど素材の幅が広がった。 |
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史79(JFA50年史より)
高級素材ではセーブル、チンチラなどが売れた。小物を中心とした
ファーファッショングッズも増え、コートやジャケット以外のアイテムにも
毛皮が用いられるようになった。毛皮業界は、新規需要を掘り起こすため、
レザーやカシミヤ、シルク、 ウールなど異素材との |
| コンビネーション製品の強化に力を入れた。 |
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史80(JFA50年史より)
ファッション性を重視し、トレンドを踏まえた個性的な商品が開発された。、
衿、袖に毛皮を用いたコンビネライニングコートやリバーシブルーション製品は
アパレル製品としてとり扱われ、こなれた価格帯で売られていることもあって
根強い人気を維持している。 |
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史81(JFA50年史より)
不景気による全般的な消費不振に、コンビネーション製品の増大などによる
単価ダウン、暖冬と、不利な材料が重なって、90年代は毛皮市場は縮小したが
アパレル業界における毛皮の扱いは増え、ファッション素材としての毛皮が定着した。 |
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史82(JFA50年史より)
90年代は、バブル経済の崩壊とともに、消費は沈滞化した。
毛皮市場も縮小傾向となるが、一方で、高級品としての毛皮から、
消費者の多様化したライフスタイルに即応した毛皮という発想が浸透し、
毛皮は商品領域を広げた。21世紀、毛皮はファッション衣料という
性格をますます強めていくと思われる。その意味で、企画提案力が
需要増大の大きなカギとなる。 |
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毛皮の歴史 協会50年の沿革 1(JFA50年史より)
協会設立の経緯 国策としての輸出振興、日本再建の一翼を担う
戦後、日本は窮乏の極に陥り、経済統制の下、生活物資は極端に不足し、
人々はその日暮らしを強いられた。生活物資がなかった時代に、
隠匿物資として軍が持っていた毛皮が衣料として用いられ飛ぶように売れた。
一方で、日本再建のために、国にとって輸出産業の振興が急務となっていた。
毛皮産業もまた、重要な輸一出産業の一つとして嘱目され、政府は畜産振興5カ年計画を
打ち出すなど、毛皮業界をとり巻く内外の情勢は急激な展開を見せはじめた。
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毛皮の歴史 協会50年の沿革 2(JFA50年史より)
戦前では、わが国の毛皮業界はイタチ、ウサギ、タヌキ、テン、リスなどの毛皮を
米国向けに輸出していた。しかし、対米輸出は日米関係の悪化により1939年(昭和14年)頃
から中止せざるを得なくなり、戦後ようやく再開にこぎつけることになった。
戦後は、外貨獲得の必要もあって、政府の要望により国内産の毛皮はこぞって
輸出に回した。輸出するに際しては、毛皮の品質を農林省の検査官が厳重に
チェックを行った。 |
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毛皮の歴史 協会50年の沿革 3(JFA50年史より)
二団体が合併、日本原毛皮協会設立
戦後の急速な変化に対応するために、1949年(昭和2)の初めころから、
業界の主だった人々が中心となって一つの団体を作ろうという機運が
高まっていった。その核となったのは、古い歴史を持つ毛皮生産者
売買業務者の団体「日本原毛皮同業会」と、戦後貿易再開とともに
設立された「日本毛皮貿易協会」である。 |
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毛皮の歴史 協会50年の沿革 4(JFA50年史より)
二団体は、毛皮の増産、輸出振興に大きな役割を果たしてきたが、
日本の毛皮産業の未来を開くという大義の下に発展的に解消し、
合併することで合意した。
同年10月18日、創立総会が開催され、
出席者32名(委任状276名)が発足を決議、「日本原毛皮協会」が誕生した。 |
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毛皮の歴史 協会50年の沿革 5(JFA50年史より)
初代理事長に福井菊1三郎氏(前日本原毛皮同業会理事長)を選出し、
生産者·売買業者。貿易業者の三者が緊密な連携の下に政府の畜産振興計画に呼応し、
わが国の毛皮産業に資することなどを決議した。
12月8日協会設立申請を農林省に提出し、翌1950年(昭和5)1月17日
森幸太郎農林大臣から認可され、協会は正式に発足した。同時に戦前から
あった東京毛皮商工業協同組合も東京都から設立認可を受けた。
協会の会員は、なめす前のロースキンを扱う業者が主体だった。
また、両団体にまたがって加盟する業者も多かった。 |
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毛皮の歴史 協会50年の沿革 6(JFA50年史より)
事務所は戦前から日本原毛皮同業会が使用していた築地の第3ビルに
置くこととし、東京毛皮商工業協同組合も同居した。以後、今日まで
50年、協会は良い商品を公正な価格で消費者に届けることを基本理念に
①毛皮加工技術向上のための指導
②毛皮にかかる輸入関税の引き下げ、物品税(1987年廃止)の軽減などに
関する関係諸官庁との折衝
③消費者に対する正確で豊富な毛皮の知識、情報の認可広報活動
④会員相互の協調と親睦、業界内外への情報発信を目的とした
毛皮専門紙の発刊
初代福井理事長の後、二代目理事長は伊藤良雄氏(大興物産)に
引き継がれ、協会の創生期をリードした。 |
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毛皮の歴史 協会50年の沿革 7(JFA50年史より)
設立一年目 会員は約1200名
協同毛皮業界は当初、農林省の管轄のもとに置かれた。
毛皮を輸出するにも、品質の検定は農林省の検査官が
行い、その決定を受けなければならなかった。
戦後の復興の一環として畜産振興5カ年計画を推進
していた農林省は、協会に、毛皮の集荷を効率的に行
うために会員数を増加するよう要請した。 |
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毛皮の歴史 協会50年の沿革 8(JFA50年史より)
そのため協会設立一年目の会員数は1170名に上った。
会員の構成メンバーは生産·飼育業者、原毛皮輸入業者、
加工業者、卸売り·小売り業者などであった。
地域別では東京がいちばん多く、輸入業を含めて原皮業者が20名ほど、
加工業者、小売り業者がそれぞれ10~15名ほど加盟していた。
また一県で20~30の業者を数えたが、これは猟師が協会員として
加盟していたからである。初年度に会費を納めた会員は410名に
とどまった。 |
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毛皮の歴史 協会50年の沿革 9(JFA50年史より)
種兎改良を奨励し外貨獲得に貢献する
畜産振興策として各県で「畜産共進会」が盛んに実施された。
従来、日本産飼兎毛皮は世界において最も品質が良いとされ、
好評を博してきた。ところが、協会が設立される前年度頃までは、
戦中,戦後の混乱により輸出品飼兎は品質が低下しており、世界中から
苦情が続出し、相場下落の一因となっていた。 |
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毛皮の歴史 協会50年の沿革 10(JFA50年史より)
そこで協会は1950年の九月から1951年2月にかけて山形、和歌山、
富山、高知、岐阜、福島、千葉などでの共進会に協賛し、優秀種兎に
協会賞などを推進授与した。各地共進会への協賛は1968年(昭和43年
)まで続けた。当時、日本は外貨不足に悩んでおり、農林省、通産省は
毛皮輸出を奨励した。日本産原皮に対する信頼を原毛皮回復するため、
輸出は品質の良いものに限定し行うようにした。その頃、米国にウサギ100万枚前後、
イタチ60万~70万枚を輸出している。
これ以後、日本産原皮は再び品質に対する評価をとり戻し、
輸出産業として外貨獲得に貢献していく。大興物産、山崎産業、小林桂、長瀬商会などが
輸出貢献企業として通産省から表彰されている。 |
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