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  毛皮リフォーム

 

ファーサロン
世界にひとつだけの1着をつくる。毛皮リフォーム店ファーサロンの毛皮の話。

 

 

毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史5 (JFA50年史より)
世界で最初に毛皮の利用価値を高め衣料として発展させたのは、
アジア、とくに中国であるとされている。
東方遠征したマルコ。ポーロは、東洋人が毛皮を実に巧みに
衣服や室内用として活用しているのに驚き、そのことを
『東方見聞録』 に記している。、その後中国で発達した毛皮の

利用法がヨーロッパにもたらされた。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史6 (JFA50年史より)
十三世紀くらいまで毛皮貿易の中心地はビザンチンとバグダッドだった。
毛皮商は、両都市からアジア、シベリア、黒海沿岸に出掛けて毛皮を
集荷した。 当時、毛皮の一大集散地を形成していた両都市には、
交易を通じ中国から毛皮文化の影響も受けてきたのである。
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史7 (JFA50年史より)
毛皮文化のわが国への波及

中国の毛皮文化は日本にも波及した。その歴史は意外に古く、

聖武天皇の時代(730年)には中国からの答礼品の中に
黒テン=セーブルがあったという記録がある。
 
 


毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史8 (JFA50年史より)
また平安時代の『宇津保物語』『源氏物語』に “ふるき皮ぎぬ”
という言葉が出てくる。“ふるき”は蒙古語の「BLUGA」(セーブル)の
なまったものと解釈でき、セーブルが平安時代までには外国から
伝わっていた可能性を示している。
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史9 (JFA50年史より)

中世に入ると、モンゴルの侵略によってビザンチンとバグダッドが没落し、
代わってドイツ。ハンザ同盟が毛皮の集散地を握る。
ロシアのノブゴロドに集荷された大量の毛皮がハンザ同盟の広範なルートを
経てヨーロッパに流入した。
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史10 (JFA50年史より)
毛皮のヨーロッパ流入に伴い、毛皮にさまざまな工夫を
凝らすようになり、諸国の宮廷を中心に、現代でも通用するような
斬新なデザイン、華麗な毛皮ファッションが登場するようになる。
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史11 (JFA50年史より)
毛皮獣の中で、アーミンは王族だけに着用が許されたことから
ロイヤル·ファーと呼ばれた。フランス革命を経てナポレオン時代に
入ると、華美な 流行は姿を消し、毛皮の新しい利用法として、
アストラカンやクマなどが軍需用(防寒着など)に活用されはじめた。
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史12 (JFA50年史より)
わが国では武士が鞍覆い、行騰、敷物に使った。なむかばきかでも
トラ、ヒョウの毛皮は将軍家、御三家、クマは判官や弾正など

と官位によって区別されて使用され、ヨーロッパと同様に

権威と富を象徴するものであった。
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史13 (JFA50年史より)
江戸時代末期、米国やロシア、欧州の冒険家たちが
カムチャッカ半島や日本の北辺の海や島に毛皮を求め、
大船隊を仕立てやってくるようになった。樺太や北海道で
獲られる毛皮も交易の対象となった。
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史14 (JFA50年史より)
毛皮が産業となりはじめたのは明治中頃からである。
日本人は農耕民族であり、仏教の影響で禽獣殺傷を
嫌って明治になるまで獣肉を食べる習慣がなく、
また気候が温暖であったため衣料として毛皮を
利用することが定着しなかった。
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史15 (JFA50年史より)
シンボルから生活の素材へ
十九世紀から二十世紀初めの世界毛皮産業 古代·中世と新余曲折を経て、
十九世紀になると、毛皮はステイタス。シンボルというよりも
ファッションを彩る一素材、衣料の一素材として位置付けられ、
産業として活性化する。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史16 (JFA50年史より)
毛皮産地は拡大の一途をたどり、貿易業、加工業は
ますます発展し、ヨーロッパ各地で競売市場が
立つようになった。ヨーロッパ諸国の中には原皮を輸入し、
加工製品を一輸出するという国も出現しはじめた。
この傾向は、十九世紀半ばからの毛皮養殖産業の

興りと相まって二十世紀初めにはますます強まった。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史17 (JFA50年史より)
当時の主要毛皮生産地は、北半球では米国、ロシア、
カナダ、中国およびヨーロッパ諸国で、ロンドン、 
パリ、ウィーン、ライプチヒで盛んに毛皮競売市場が
開催され、各国の手毛皮商人、加工業者が集まった。
南半球では、オーストラリアでウサギ、南米で
ヌートリア、カワウソ、アフリカでラムが、大量に

生産された。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史18 (JFA50年史より)
1928年(昭和3)の統計資料によると、世界の毛皮生産額は
原皮が約八億円で、生産者(猟師、飼育業者)、原皮商
(下買人、生皮買入商、毛皮貿易商、オークション会社)、
毛皮加工業(蘇製業、染色業、屑皮加工業、筆毛製造業、
毛皮製造業、毛皮縫製業)、毛皮小売商(毛皮衣装店、
デパート毛皮部、デザイナー)、毛皮屑問屋、さらに毛皮
付帯産業=機械商(ミシン、なめし、縫製加工機械)、染料、
薬品製造業、冷蔵庫、その他の従業員の生業を成り立たしめ、

最終製品市場は推定で約五十億円となっている。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史19 (JFA50年史より)
世界最大の消費地、米国の1936年(昭和1)の毛皮輸入額は
八千百六十万(当時の円換算レートで約三億円)
ちなみに昭和記年度の日本の国家予算は二十八億円である。

当時の日本の毛皮輸出額は三百万円台だった。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史20 (JFA50年史より)
わが国の毛皮産業の夜明け 明治から戦前まで
輸出からはじまり軍需用晶へ
わが国の毛皮産業は輸出からはじまった。もっぱら
毛筆用として、イタチやタヌキなどの野生獣を集荷
していた江戸末期の毛皮商人は、明治初期には北海道から
カムチャッカ半島方面へ、北へ北へと毛皮を求めるように

なる。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史21 (JFA50年史より)

大量に集荷できるようになったイタチ、タヌキ、ウサギ
などの毛皮を横浜や神戸から欧米に輸出し、1890年

(明治23)頃からは多大な外貨を獲得するようになった。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史22 (JFA50年史より)
しかし、輸出産業としての着実な歩みも、ロシア革命に
より北方からの毛皮の集荷が思うようにいかなくなり、
大正期は頓挫する。

一方で、明治政府の欧化政策により華族や軍人たちの

間ではじまった洋装化は庶民にも広がり、国内でも

毛皮が使用されるようになる。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史23(JFA50年史より)
毛皮需要が高まる大きなきっかけとなったのは日清
戦争(1894~5年)、日露戦争(1904~5年)だった。
軍需用品。防寒具として毛皮が用いられるようになる。
軍需用となると大量の毛皮が必要だ。安価で、その割には
表面積が広く、集荷しやすく、また食肉としても活用できる

ウサギがクローズアップされた。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史24(JFA50年史より)
チンチラウサギは織物にも利用された。
洋装化の普及に伴い、「和洋折衷」ファッションが
男性の間で流行した。大正時代半ばには男性用トンビ
(合羽)という和装コートが流行し、その衿に毛皮を
一用いることが華族·金持ちのステイタス·シンボルと

なった。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史25(JFA50年史より)

オーバーコート、トンビの衿皮の流行は昭和

初期に入っても続いた。ちなみに衿皮の単価は
ラッコが350円以上、カワウソが20~100円、
オットセイ12円である。その頃の大卒初任給が
50円ほど、大企業の課長クラスの月給が100円ほど。

いかに高価であったかがわかる。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史26(JFA50年史より)
昭和元年は女性ファッション元年
1926年(昭和元)には、わが国で初めて女性のボアや
ショールにキツネやタヌキを用いたものが作られるように
なる。また外交官婦人や芸能人が毛皮のコートを着用するように
なったが、非常に高価で、一般人たちが買えるようなものでは
なかった。
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史27(JFA50年史より)
1930年(昭和5)頃から、ボアを先駆として大都市の間で
服飾毛皮の流行が本格化した。まだ毛皮のコートは高価で
需要は限られたが、ボアやショールは広く普及した。
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史28(JFA50年史より)
毛皮の輸入には100パーセントの関税がかかる
ハンデキャップがあるにもかかわらず需要は増大し、
1935年(昭和10)頃にはピークを迎えた。
消費地としては東京が飛び抜けていた。同年に対米
為替相場が下落して輸入価格が高くなったため、輸入
は減少に転じていく。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史29(JFA50年史より)
当時の毛皮輸出額は官庁の統計によると年間300万円、
輸入額は100万円となっているが、輸出業者の推計では、
年間輸出高はその倍以上の700万円となっていた。
輸出毛皮のうち野生毛皮が半分を占め、そのうちイタチが
七割で、そのほかタヌキ、テン、キツネ、ムササビ、リス
などとなっていた。輸出毛皮の残り半分は家ウサギで、
年間500万枚が輸出され350万円を稼いだ。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史30(JFA50年史より)
国産野生毛皮の9割は輸出され、1割が国内で消費された。
猟師および生産者の手元にある毛皮は、最寄の地方
在住の毛皮買入商や地方都市毛皮買入商を経由し、京浜
および阪神の毛皮貿易商の倉庫に集荷され海外に輸出された。
国内需要に応じる商人は、都市に一年中店を張っている
毛皮小売商と10月から4月まで毛皮を陳列する百貨店の

毛皮部があった。
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史31(JFA50年史より)
このほか消費地問屋があった。この問屋は、ショーウインドーを
持たず、倉庫のみを有し、原皮商の活動期(11月~5月)の終わる
5、6月頃から海外に注文を出したり、大都市の毛皮貿易商より
原料を買い付けたりして活動を開始し、原皮を加工に出し、
9月には製品をとり揃え、デパート毛皮部、毛皮小売商および
洋服屋に卸していた。加工屋であるなめし業や縫製業で大規模な
ところは日本毛皮貿易㈱くらいで、あとは毛皮小売商の下請けで
規模は小さかった。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史32(JFA50年史より)
毛皮の暗黒時代
しかし、毛皮産業は軍国主義時代の到来とともに衰退していく。
1940年(昭和15)の賛沢品制約令により毛皮の製造販売が規制され、
太平洋戦争勃発により毛皮の輸入が禁止(これは1962年まで続く)
され、毛皮業界は暗黒時代に入っていった。
一方、輸出はイタチ、テンなどを米国、ヨーロッパに向けて出荷して
いたが、これも1941年(昭和16)の日米開戦とともに途絶え、毛皮は暴落した。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史33(JFA50年史より)
しかし、戦時下でも、満州に在住する白系ロシア人からの買い注文があり、
1942年(昭和17)からは、大日本毛皮統制株式会社を通じて輸出を行うことに
した。ただ同社は役所向けの組織で、毛皮各社が自由に商売をしていたと
いうのが実態である。毛皮輸出組合も結成され、輸出許可を得て、満州、
上海などに輸出していた。輸出用としてはイタチが最も多く、価格は
18インチ平均で15~20円と高価だった。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史34(JFA50年史より)
活用の拡大が養殖産業を興す キツネからミンクへ
毛皮産業の隆盛は養殖によってもたらされた。
野生獣は毛変わりがある。野生毛皮獣で質の良い毛
は冬毛である。質量、色彩ともに冬毛に真価が現れる。
しかも、最も良い毛の時期はわずか初冬の二、三週
間で、その後は色あせ、毛擦れなどで全体の光沢が失
われていく。このため、野生動物の毛皮は品質がまち
まちで、優秀なものは少ない。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史35(JFA50年史より)
したがって、養殖がはじまるまでは、一定品質の毛
皮を大量に得ることが困難であった。
毛皮の需要が世界的に拡大すると、野生動物は捕獲
により次第に減少し、毛皮用動物の捕獲を制限せざる
を得なくなり、養殖の必要性が出てきた。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史36(JFA50年史より)

十九世紀に入り、米国の狩猟者の中に、野生のキッ
ネを捕らえて飼育し、冬の毛皮の最盛期に屠殺するこ
とが行われはじめた。これが養殖産業のはじまりで、
まずキツネがクローズアップされた。養殖はなかなか
実用にはいたらなかったが、1860年、カナダの
オンタリオ州ではじめて銀黒キツネの養殖がはじまり、
1886年、カナダの大毛皮会社「ハドソン。ベイ商会」
のストラスコナ卿が、このキツネを飼育中に繁殖させ
ることに成功した。
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史37(JFA50年史より)
1886年、カナダの大毛皮会社「ハドソン。ベイ商会」
のストラスコナ卿が、このキツネを飼育中に繁殖させ
ることに成功した。
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史38(JFA50年史より)
その後、同州プリンス。エドワード島では、
競って野生キツネを捕らえて飼育するようになり、
1894年頃から毛皮獣の養殖産業が勃興する。
同島には1910年には十二の養狐場があったが、

飼育者たちは飼育方法を秘密にし、もっぱら種畜の

販売を行い、大いに収益を上げていた。
やがて飼育法が公開されるようになり、養殖熱は世界的な
高まりを見せるようになった。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史39(JFA50年史より)
わが国の養殖はウサギから
わが国では、日清·日露戦争後、軍需用として大量の
ウサギが必要となり、ウサギの養殖がはじまった。
1915年(大正4)世界的なキツネブームを背景に樺太庁で
養殖を試みたのを手はじめに、翌年農林省と日魯漁業が
共同で青キツネなどを捕獲して千島諸島で飼育を開始し、
その後カナダから種畜を導入し、北海道、樺太を中心に
銀キツネの養殖が盛んになり、第二次世界大戦の終わりまで
続いた。https://twogod.com/index.html
 
 
毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史40(JFA50年史より)
銀キツネは、第二次世界大戦前は毛皮の花形種となり、
世界の生産は百二十万枚を超えた。わが国からは年間
約三万枚の原皮が当時の世界の毛皮市場の中心地ロンドンに
輸出されていた。銀キツネの全盛期に、ノルウェーで、

銀キツネからプラチナキツネが作り出された。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史41(JFA50年史より)
ノルウェー政府は積極的にプラチナキツネの養殖。
増産を援助し、米国や他の国々に輸出し、一時は銀キツネを
圧倒した。戦後、花形種となったのはミンクである。
ミンクが米国、カナダで養殖されはじめたのはキツネの
養殖よりも古く、1860年頃である。1925年(大正14)頃にはミン
ク養殖業者はかなり増え、ミンク生産は拡大していた。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史42(JFA50年史より)
ところが、銀キツネが流行しはじめたため、ミンク
飼育は伸展せず、停頓状態になった。ミンクは野生種
そのままを養殖したものに執着していたため、毛皮の
価格も低く、大きな収穫が得られなかったためもあっ
しかし、戦時から戦後にかけて、ミューテーション
ミンク(シルバーブルーミンクが中心)に重きを置いて
養殖されたために、天然産のミンクを退けて現代
の流行の先端に立つことになったのである。
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史43(JFA50年史より)
この当時、世界では数量において野生種の毛皮は全
毛皮の約七十五パーセントを占めていたが、流行を支
配しているのは養殖毛皮であった。
ミンクとカラクールが中心だったが、ヌートリア、
米国におけるチンチラ、また各国のウサギなどもかなりの
数量に上った。
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史44(JFA50年史より)
毛皮産業の胎動期 第二次世界大戦後:ジャパニーズ·ミンク"が売れる
わが国では戦時下、毛皮は軍需用として生産された
ため、1945年(昭和20)の終戦により需要はまったく
なくなった。毛皮市場は空白が続くことになる。
戦後しばらくは、ウサギを主体に衿巻きや羽織下、
チョッキなどが作られ、闇市で売られた。
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史45(JFA50年史より)
その後、進駐軍やその家族を対象にイタチ、テンを
使用した毛皮製品が売れはじめ、とくにイタチは
"ジャパニーズ。ミンク。として珍重された。
米国人は東京や横浜の毛皮商店でコートを買った。
またPX、あるいは横浜や三沢など基地に近い都市で
の毛皮市は大変なにぎわいをみせた。
1946年(昭和2)頃でイタチ原皮は一枚70~150円。
コート一着で100~120枚使用し、店頭では5万~7万円で
買われた。1949年(昭和2)には同300~500円に高騰し、
コートは10万~12万円で販売された。
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史46(JFA50年史より)
進駐軍向けの商売は物品税がかからず、大きな利益一
が上がり、1950~1951年頃は朝鮮戦争特需景気で
空前のイタチブームとなった。
一九五九年(昭和弘)現美智子皇后の御成婚は、日本の
毛皮史にとってエポックメーキングとなった。美智子妃が
身に付けていたミンクのストールは、ミッチーブームに
乗って女性の購買心理を刺激し、これを契機に女性用毛皮が
売れはじめた。
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史47(JFA50年史より)
シルバーブルー出現で市場は一変
ミンクの歴史は「シルバーブルー」の出現によって一変した。
毛皮産業史の流れの中でミンクは機軸をなしているが、

養殖ミンクになっても毛質は野生種と変わらず黒に近い褐色だった。

米国では長年にわたり、品種改良の努力が続けられ
ていた。1931年(昭和6)米国ウイスコンシン州のある
養殖場で突然変異種であるシルバーブルーの品種が出現した。
このミューテーション。ミンクの登場により、養殖ミンクの
形態および毛皮産業は大きく転換することになる。
シルバーブルーからもっと色の美しいミンクが作られ
サファイアミンクと名付けられた。
品種改良はさらに進められパステル、ホワイト、ダークなど
約四十種の毛色のミンクが掛け合わせによって出現した。
これによりミンクは世界で一大ブームを巻き起こし、
毛皮市場発展に貢献した。
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史48(JFA50年史より)

北海道で日本産ミンクの飼育はじまる

1953年(昭和2)北海道でミンクの養殖が開始
され、わが国の毛皮産業の再生がはじまった。
当時、海外はミンクを中心に動いていた。高碕達之
助氏が渡米した際、その状況を目の当たりにし、帰国
後ミンクの養殖を商社や水産会社に勧めたところから
はじまったようである。
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史49(JFA50年史より)
三井物産は札幌郊外に飼育会社「東邦ミンク」を設立した。
また水産会社も「ミンクの毛皮は一万円」というキャッチ
フレーズのもとにミンク養殖に乗り出した。
ちなみに1961年(昭和36)頃の大卒初任給は一万三千円
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史50(JFA50年史より)

養殖業者は、帯広畜産大学をはじめ獣医·畜産科の学生を
採用し、人材の確保に努めたが、飼育は一朝一夕に
できるものではなく、非常に苦労した。米国の文献、
雑誌から情報を得て日本における飼育法を開発した。
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史51(JFA50年史より)
また米国から技術者を招き指導を受けたりした。
日本にはまだ市場が形成されていなかったので、
ミンクは主に輸出目的で飼育された。いかに日本産ミンクを
アピールし、販路を開拓していくかが大きな課題となった。
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史52(JFA50年史より)
大手水産会社が共同で缶詰の輸出共販会社を運営し
ていることに範を求め、それをモデルにミンクの輸出
共販会社を設立、同時に日本ミンク協会も設立された。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史53(JFA50年史より)
一方、北海道庁は1953年、国内産業振興の一助
として米国から二十四頭のミューテーション。ミンクを輸入し、
この種ミンクを飼育業者に貸し付けてミンク増産を奨励した。
それらをまとめる団体として北海道ミンク農協が生まれ、
後に輸出共販会社とともに日本ミンク協会に統合した。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史54(JFA50年史より)
輸出共販会社ができたものの、米国では生産者団体の力が強く、
ニューヨーク。オークション、ハドソン·ベイ· オークションに
外国産ミンクは上場できなかったので、わが国のミンクは
ニューヨークのミンク専門ブローカーに委託·販売してもらった。

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2022年 新年カレンダー 寅年
新年は1月6日より営業
1月8日 10:00より初売り
中身の見える福袋       
11000円
33000円
44000円
55000円
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史55(JFA50年史より)
輸入により広がる国内市場
1962年(昭和幻)、それまでまったく輸入できなかった毛皮の輸入が自由化され、

海外の毛皮が自由に買えるようになった。 自由化された途端に小売り市場に

ウサギのブームが巻き起こり、1962~1963年は月当たり平均930万枚を輸入する

ほどの人気となった。輸入先はフランスが最も多く、イタリア、スペインと続いた。

その後、フランスがウサギを減産したのに伴い中国からの輸入が増加した。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史56(JFA50年史より)
小売市場でのウサギブームにはじまり、1964年~1984年に
かけてはキツネのボアがブームとなった。
ブームの後には、その反動から大暴落もあった。キツネの
ボアのプームが終息した1969年には企業の倒産が相次いで
起き、業界は沈滞した。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史57(JFA50年史より)
しかし、回復も早かった。翌年には、それまで部分品だった
毛皮がウサギを中心にジャケット、コートの需要が増大し、
1973年頃にピークを迎える。当時、中国からウサギのプレート
(十枚近くを張り合わせたもので60×120センチ)を約200万枚
輸入した。それ以外にフランスからも数百万枚単位で輸入した。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史58(JFA50年史より)
ウサギブームは1974年から下火となり、1975年はラム(仔ヒツジ)が
売れるようになった。1980年頃から本物志向·高級志向の強まりから
ミンクの売れ行きが上昇し、1984年頃にピークに達した。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史59(JFA50年史より)
当時の毛皮市場の規模は約2850億円と推定されている。
1965年から十年間は、日魯毛皮、大洋ミンクなどの
水産系列会社が毛皮産業に参入し、既存の毛皮業者との
軌牒も生じた時代である。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史60(JFA50年史より)
また青葉会、睦会などオークション形態の交換会が
月に一回ほど開催されていた。ウサギ、キツネ、その他、
それぞれの専門業者が原皮材料や製品を持ち寄って交換売買した。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史61(JFA50年史より)
一喜一憂のミンク市場

1964年(昭和39)ミンク共販会社は北海道の毛皮業者の
協力を得て、第一回のミンク。オークションを開催した。
札幌にある帝国製麻の工場にある女子寮の建物を借りて、
そこを集荷場とした。第一回オークションの上場枚数は
5011万枚であった。第三回から海外のシステムをとり入れて、
会場で毛皮を下見してもらい、毛皮を出さずにカタログだけで
競りを行った。その手法は今日までも続いている。この頃から

日本でミンクの毛皮が市場に浸透しはじめていく
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史62(JFA50年史より)
輸出については、毛皮の集散地ロンドンにハドソン
·ベイ·オークション(H.B.C)、アニング。チャドウィック
カイバーという二つのオークション会社があり、
1964年そこにはじめて上場し、良い値段で取引できた。
しかし、毛皮の相場は急変し、翌年は日本産ミンクは
まったく振るわず、売れても前年の半値にも届かなかった。
その翌年は相場が回復し値を戻すなど、一喜一憂の歴史だった。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史63(JFA50年史より)
ミンク生産業者にとって、1960年代半ばからし
ばらく苦しい時期が続いた。ミンクの毛皮はまだそれ
ほど売れず、採算のとれる飼育場はほとんどないとい
う状態だった。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史64(JFA50年史より)
毛皮が自由に扱えるようにはなったものの、先行き
にそれほど夢が持てないというのが当時の業者の実感
だった。ただ、その間、ミンク業者は優秀な技術を蓄積し、
力を蓄えた。いわば、この時期は1980年代のミンク,ブームを
迎えるまでの,充電期"として位置付けられる。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史65(JFA50年史より)
国内ミンクの生産枚数はピーク時でも年間70万~80万枚
(全世界では2500万枚から3000万枚)にすぎず、市場が
拡大するにつれ、ミンク生産業界の生産能力では需要に
追いつかなくなり輸入が増大した。

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