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毛皮リフォーム |
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| 毛皮の歴史 協会50年の沿革 42(JFA50年史より) |
| ブームが引き金となりPR活動本格化 |
| 輸入自由化により毛皮ブームが起きたのは1963年(昭和38) |
| である。協会は翌年二月第一回全国毛皮業者大会を開催し、 |
| この状況にどう対処するか、業界の今後のあり方を討議した。 |
| 大会は非常に有意義に終わり、宣伝事業が最も重要な事業で |
| あると位置付けられ、その実施が決議された。同年、そのため |
| 「宣伝委員会」が設置され、次のような事業の実施を決めた。 |
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| 毛皮の歴史 協会50年の沿革 43(JFA50年史より) |
| ①専門紙への記事掲載と広告出稿 |
| ②東京、大阪を中心に車内吊り広告の出稿 |
| ③電波媒体·雑誌への広告出稿 |
| 会員から「宣伝分担金」を集め、これらの所要経費 |
| に充てることにした。 |
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| 毛皮の歴史 協会50年の沿革 44(JFA50年史より) |
| 1964年度は500万円程の予算を組み、宣伝活動を展開した。 |
| 宣伝は小売り市場の拡大など大きな成果を生み、翌年度は倍増の |
| 1000万円の予算を計上した。これ以後、東京毛皮商工業協同組合、 |
| 西日本毛皮商工業協同組合と共同で行うことになり、宣伝·広報事業は |
| 質量ともに充実していった。 |
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| 毛皮の歴史 協会50年の沿革 45(JFA50年史より) |
| 1975年(昭和50)頃からは宣伝·広報事業の年間予算は |
| 2000万円に拡大し、それに伴い小冊子、絵ハガキ、単行本、 |
| ポスターなど宣伝手法も多彩になっていった。その後は8ミリ映画、 |
| スライド、VTRなどを用いた宣伝も行うようになる。 |
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| 毛皮の歴史 協会50年の沿革 46(JFA50年史より) |
| 宣伝委員会が推進母体となって、毛皮普及に伴う素材志向から |
| デザイン志向の時代に即応して、「人材の育成」「デザインの高度化」を |
| 目的に、1979年から「JFAデザインコンテスト」「JFAジャパンファー |
| コレクション」を十年間継続して実施した。同イベントにより毛皮は |
| ファッション素材·アイテムとして広く認知され、デザインレベルも大きく向上した。 |
| 現在は、高感度のデザイン、加工技術の高度化に向けたセミナーの開催、 |
| さらに全国展開する百貨店に新しい毛皮の提案(2000年度は |
| アパレルやデザイナーに毛皮の活用を促すための素材や加工技術の提供、 |
| “シーズンレスファー”を提案)などを行い、毛皮需要の振興を促す活動を |
| 行っている。 |
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| 毛皮の歴史 協会50年の沿革 47(JFA50年史より) |
| IFTFから宣伝 助成金が得られた |
| IFTF(国際毛皮連盟、本部ロンドン)は毛皮団体の世界組織で、 |
| 1975年(昭和50)頃は25カ国が加盟していた。協会は1972年 |
| (昭和47)に加盟している。加盟国からの会費のほかに、毎年各国で |
| 行われるオークションのハンマープライスの5パーセントをオークション |
| 会社から徴収し、連盟の運営資金、各国の毛皮製品の普及促進活動に対する助成 |
| 、アンチファー運動に対する防衛措置のための活動資金などに充てていた。 |
| 毛皮の歴史 協会50年の沿革 48(JFA50年史より) |
| 1973年(昭和48)から協会は役員を送り込み、1978年(昭和53)に宣伝、 |
| 広報活動助成を申請して連盟に働きかけた結果、二万ポンド(約900万円)の |
| 助成金を受けることができた。翌年には四万ポンド(約2000万円)が認められ、 |
| 宣伝·広報活動は一層強化されることになった。 |
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| 毛皮の歴史 協会50年の沿革 49(JFA50年史より) |
| このほか賛助会員制度の下に、サガなどの海外毛皮生産者団体日本代表が |
| 賛助会員として加入、情報交換が適宜適切に行われるようになった。 |
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| 毛皮の歴史 協会50年の沿革 50(JFA50年史より) |
| ファーファッションの創造へ展開 |
| 1970年代初め頃から、協会の加盟各社は毎年ファッションショーを |
| 開催するようになった。また、FTFから助成金が得られるようになり、 |
| 宣伝 ·広報活動は資金面での支えもあって一段と充実していく。 |
| 1970年代後半になると、消費者の本物志向のニーズに対応するため、 |
| ファッション業界、ファッショデザイナーと連携し、新しくファーファッ | 。
ションを創造し提供する大々的な事業が宣伝活動の核となっていった。 |
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| 毛皮の歴史 協会50年の沿革 51(JFA50年史より) |
| 主な事業、イベントは次の通り。 |
| 「JFAレセプション」(1978年、79年) |
| 「ファーデザインコンテスト」(1979~88年、サガファー。オブ。 |
| スカンジンナビア、スワカラ·プロモーション。センターなど協賛) |
| 「JFAジャパンファーコレクション」(1980~90年、サガファー。オブ· |
| スカンジンナビア、スワカラ·プロモーション。センター協賛) |
| 「JFAファーセミナー」(1982年、83年) |
| 「ジャパングッズファッションフェア」(1988年) |
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| 毛皮の歴史 協会50年の沿革 52(JFA50年史より) |
| 毛皮の基本知識の不足からくる消費者対販売業者、 |
| 消費者対クリーニング業者·保管業者などのトラブル |
| に対し、消費者保護を前提に鑑定委員会が調査し公正 |
| な判断を下し問題解決にあたっている。 |
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毛皮の歴史 協会50年の沿革 53(JFA50年史より) |
毛皮の基本知識の不足からくる消費者対販売業者、 |
消費者対クリーニング業者·保管業者などのトラブプル |
に対し、消費者保護を前提に鑑定委員会が調査し公正 |
な判断を下し問題解決にあたっている。 |
| 毛皮の歴史 協会50年の沿革 54(JFA50年史より) |
| 1978年(昭和53)には蘇製加工技術の強化、向上を目的に |
| 「品質管理委員会」を設置した。同委員会は鑑定委員会の出した |
| 報告書に科学的な裏付けを与えることとなり、また「品名統一委員会」も |
| 設置し品名の統一に努力した。 |
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| 毛皮の歴史 協会50年の沿革 55(JFA50年史より) |
| 鑑定委員会、品質管理委員会は日本皮革技術協会に協力を仰ぎ、 |
| 委員として北海道大学、東京農工大学、都立皮革技術センターの |
| 先生方を招いた。さらに、1985年(昭和60)日本皮革技術協会と |
| 共同で「毛皮技術委員会」を設置し、毛皮に関する諸問題に科学的に |
| 対応し、解明、研究できる体制を作った。 |
| 毛皮の歴史 協会50年の沿革 56(JFA50年史より) |
| さまざまな宣伝活動や、これら各委員会の活動を支援し、さらに |
| 本物志向を強める消費者に毛皮に関する情報をより広く、より速く、 |
| 直接的に提供するため1989年6月「広報室」を設置した。広報室は、 |
| 一般消費者に、より身近にファーファッションを定着させる役割を果たした。 |
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| 毛皮の歴史 協会50年の沿革 57(JFA50年史より) |
| 広報室内に設けられたインフォメーションセンターは、毛皮の上手な |
| 買い方からトラブル処理まで、あらゆる質問に答え、業界と消費者の |
| 健全な関係の保持に寄与すると同時に、毛皮イメージの向上に寄与した。 |
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| 毛皮の歴史 協会50年の沿革 58(JFA50年史より) |
| 狂信的な。動物愛護運動,に対処 |
| 1980年代後半、欧米では狂信的な「動物愛護運動」が広がり、 |
| 毛皮排斥運動が巻き起こった。動物の権利、動物の福祉を標接する |
| 一部の極端な運動家が消費者を扇動し、毛皮業界をはじめとする |
| 動物関連産業に非難。中傷を浴びせ圧迫した。 |
| 毛皮の歴史 協会50年の沿革 59(JFA50年史より) |
| これにマスコミ、評論家などが迎合し、毛皮産業の実態を歪める |
| 誤った情報が氾濫した。毛皮業界が被った影響は甚大で、有名デザイナー |
| 企業が毛皮素材のとり扱いをやめるなど、世界的な需要減退の要因と |
| なった。当協会は、「動物愛護運動」の掲げる狂信的なスローガンが |
| 消費者の間で誤解を招く恐れがあることを憂慮し、現実の毛皮業界の |
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| 毛皮の歴史 協会50年の沿革 60(JFA50年史より) |
| 1991年(平成3)年に行われた第27回全国毛皮業者大会では、 |
| 動物愛護運動の現況が報告され、野生動物の捕獲を禁止した |
| CITES(ワシントン条約)のPRや毛皮産業の正しい知識などの |
| 広報活動に力を入れることにした。 |
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| 毛皮の歴史 協会50年の沿革 61(JFA50年史より) |
| IFTF(国際毛皮連盟)をはじめとする世界の毛皮団体の広報活動もあって、 |
| 過激な動物愛護運動は1990年代の半ばには沈静化していくが、 |
| なお膨大な資金力を駆使し、非現実的な動物愛護キャンペーンを展開する |
| 組織も存在し、警戒を緩めることはできない。 |
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| 毛皮の歴史 協会50年の沿革 62(JFA50年史より) |
| ちなみに2000年2月には、最も極端な動物権利団体の一つと |
| されるPETA(動物の倫理的な処遇を目指す人々)は、ロンドン |
| ファッションウイークを標的に皮革製品のボイコット運動を |
| 開始した。彼らは米国では漁業に反対するキャンペーンも |
| 展開している。 |
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| 毛皮の歴史 協会50年の沿革 63(JFA50年史より) |
| PETA創立者である動物解放主義者は、「動物も人間も同列」と |
| 主張し、動物を娯楽,教育·研究目的に使用したり、商業的 |
| 養殖等について一切反対し、あらゆる種類の動物の活用禁止を |
| 求めている。1998年にキャンペーンに使用した資金は |
| 1400万ドルと言われている。 |
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| 毛皮の歴史 協会50年の沿革 64(JFA50年史より) |
| 1997年頃から有力デザイナーが再び毛皮を扱うようになり、 |
| 動物愛護運動の影響は払拭されつつある。 |
| とくに2000~2001年秋冬は、ニューヨーク、パリミラノ· |
| 東京コレクションでは毛皮作品が豊富に登場し、毛皮がイメージアップする |
| シーズンとなった。 |
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| 毛皮の歴史 協会50年の沿革 65(JFA50年史より) |
| 「日本毛皮協会」に名称変更 |
| 1994年(平成6)6月27日、協会の名称を日本原毛皮協会から |
| 「日本毛皮協会」へと変更し、それに伴い監督官庁は従来からの農林 |
| 水産省と、通産省の共管となった。毛皮業界をとり巻く環境の変遷と |
| 毛皮の大衆化を考慮すれば、「原毛皮協会」から「毛皮協会」への変更 |
| は必然的な結果と言えるが、製品団体として認知されることは長年の |
| 悲願だった。 |
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| 毛皮の歴史 協会50年の沿革 66(JFA50年史より) |
| 戦後、原皮の輸出産業から再スタートした毛皮業界は、消費時代の |
| 到来とともに製品の輸入産業へと業態が変容した。原皮輸出産業時からの |
| 主務官庁、農水省からは指導·助成が得られなくなり、実質的には主務官庁であるべき |
| 通産省からも指導助成が受けられないという“仲間はずれ”扱いがしばらく続一いた。 |
| 毛皮の歴史 協会50年の沿革 67(JFA50年史より) |
| この間、協会はさまざまな課題を自主努力で処理してきたが、 |
| 業界の拡大とともにそれも限界となり、業界内では処理しきれない |
| 問題も増えていた。また毛皮製品が普及したのに「原毛皮」では |
| PR効果は薄いとの意見も多く、定款を変更(名称の変更を含む)し、 |
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| 毛皮の歴史 協会50年の沿革 68(JFA50年史より) |
| 心機一転、新しいスタートを切った協会と、その加盟社の権威を |
| 確立するため「新JFAマーク」を設定し、さらに1948年(昭和23)に |
| 創刊し協会の機関紙の役割を果たしてきた『毛皮新報』を廃刊、より幅 |
| 広い分野の高度な情報を業界に提供すること使命として、新たな機関紙 |
| 『JFA通信』(季刊)を発刊した。また、二十一世紀に向けて、強固な業界の |
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| 毛皮の歴史 協会50年の沿革 69(JFA50年史より) |
| ◎世界の毛皮業界との密接な連携 |
| ◎服飾専門学校との産学共同事業 |
| ◎長期的視野に立ったデザイナープロジェクトの展加盟社および |
| 服飾関係学生を対象としたセミナー活動の強化 |
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| 毛皮の歴史 協会50年の沿革 70(JFA50年史より) |
| 二十世紀最後の節目の年に、協会は奇しくも設立50周年を迎えた。 |
| IT時代に突入し、あらゆる産業において“新産業革命が |
| 進行している今、毛皮業界は他産業と同様に興亡の大きな岐路に立っている。 |
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| しかし協会の50年という歴史をふり返るとき、困難は常に |
| つきまとっていた。幾多の試練を乗り越え、それをバネに発展を |
| 遂げてきた。グローバル化の中で、協会は海外毛皮団体との国際 |
| 的な連携を深め、高度化する消費者のニーズに応え、二十一世紀に |
| 打ち出している。 |
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