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  毛皮リフォーム

 

ファーサロン
 
世界にひとつだけの1着をつくる。毛皮リフォーム店ファーサロンの毛皮の話。

 

 


   

毛皮リフォーム専門店 毛皮製品の歴史 (毛皮の本より)

いまでこそ日本も、毛皮が秋冬ファッションの代表として
ファッション産業の一部として定着していますが、
日本で毛皮製品が衣料として扱われ出したのは明治後期、
1910年頃からとされています。
今日までに10回の大きな毛皮ブームを経てきたと思います。

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ファーショップ
毛皮リフォーム専門店 毛皮製品の歴史 (毛皮の本より)

日本の毛皮ブーム
第1期は、日露戦争後、中国に進出するようになり、男性用の
防寒用としての需要が始まった。
(日露戦争は、1904年(明治37年)2月から1905年(明治38年)9月にかけて

大日本帝国とロシア帝国との間で行われた戦争)

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フォックス

毛皮リフォーム専門店 毛皮製品の歴史 (毛皮の本より)
日本の毛皮ブーム
第2期は、第一次世界大戦による好景気、大戦景気、大正バブルと呼ばれ

にわか成金が続出した。お金を手に入れた男性は、和服で外出するときには

ラッコやカワウソの毛皮をつけた外套を着ました。ラッコやカワウソの毛皮が

当時、最高のステータスだった。続く

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シルバーフォックス

毛皮リフォーム専門店 毛皮製品の歴史 (毛皮の本より)
第3期は、昭和の初めに北海道でシルバーフォックスの養殖が始まり、

日本国内でシルバーフォックスのマフラーが流行しました。

このころから男性用の実用毛皮から女性用のファッション毛皮の歴史が

始まりました。 その後、日中戦争、第二次世界大戦と、毛皮業界には

厳しい時代がつづきました。   続く

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ベビーシューズ
ファーストシューズ

毛皮リフォーム専門店 毛皮製品の歴史 (毛皮の本より)
第4期は、昭和30年ごろから北海道でミンクの養殖事業が始まりました。

昭和34年に皇太子殿下のご成婚があり、美智子妃殿下がミンクのストールを

お召しになったことをきっかけに、ミンクのストールは爆発的な人気商品と

なっていきます。 続く

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ファーマフラー

毛皮リフォーム専門店 毛皮製品の歴史 (毛皮の本より)
第5期は、昭和40年ごろから傘屋さんが、雨の少ない冬場の販売商品として

毛皮のマフラーの販売を始めました。毛皮店の数と傘店の数は比べものになりません。

日本中で毛皮が販売されるようになりました。 当時の人気商品は、フォックスの

マフラーで顔と足がついたボアと呼ばれるマフラーでした。 続く

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サファイヤミンク

毛皮リフォーム専門店 毛皮製品の歴史 (毛皮の本より)
第6期は、昭和50年ごろ(1975)のミンクブームミンクの養殖が確立され、

新しい色や品質の良いものが安定供給されるようになりました。フルスキンミンク

(全面ミンク毛皮)のジャケットが面白いように売れました。 続く

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パールミンク

毛皮リフォーム専門店 毛皮製品の歴史 (毛皮の本より)

第7期は、昭和60年ごろ(1985)のシェブロンミンクブーム
ミンクの原料価格が高騰していましたが、新しい縫製・加工技術により

低価格でミンクコートが供給されました。ミンク毛皮とレザーと交互に

縫い合わせて模様を作り出した加工方法です。レザーを使う分、ミンク毛皮の

使用量が少なくなり価格も20万~40万位でした。全部ミンク毛皮で作った

コートが80万~150万しましたので大人気商品になりました。   続く

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ブルーアイリスミンク

毛皮リフォーム専門店 毛皮製品の歴史 (毛皮の本より)
第8期は、平成5年ごろ(1993)皇太子さま・雅子さまご結婚の際の

ニュース報道で、雅子さまのお母さまが当時貴重だったブルーアイリスミンクの

コートを着ていたことから、ブルーアイリスミンクが大人気となり品薄になりました。

ブルーアイリス人気が2~3年続きました。 続く

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シェアード加工したミンク

毛皮リフォーム専門店 毛皮製品の歴史 (毛皮の本より)
第9期は、平成11年ごろ(2000)日本では毛皮といえばミンクと

いうようなミンク人気が続きましたが、少しずつ飽きられてきていた時期

だったかもしれませんそのような時に、毛皮の毛を刈るという加工方法が

登場しました。 シェアード加工されたミンクは、ベルベットのような光沢で、

日本中の毛皮ファンのあこがれのコートになりました。200万~300万する

シェアードミンクがどんどん売れました。     続く

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ファーニッティング加工

毛皮リフォーム専門店 毛皮製品の歴史 (毛皮の本より)
第10期は、平成24年ごろ(2013)1991に特許技術を取得した

テープ状に加工した毛皮をネットに編み込むニッティング加工の特許が切れ、

各メーカーが新作を発表し大流行しました。 続く

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エコファー
フェイクファー

毛皮リフォーム専門店 毛皮製品の歴史
第11期はまだ来ていません
令和1年ごろ(2019)からハイブランドのエコファー戦略でフェイクファーが

ブームになりました。エコというと環境に良いように聞こえますが、フェイクファーは

石油製品ですストローと同じでマイクロプラスチック問題を引き起こす素材です。
徐々にエコファーという呼び方に疑問を持つ方が増えてきています。 続く

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シルクと毛皮
リバーシブル毛皮

毛皮リフォーム専門店 毛皮製品の歴史
第11期を作るべくして
① 生地と毛皮を融合させたリバーシブル製品の開発
② ダウンよりも軽い毛皮製品の開発
③ 着て行く場所を選ばない毛皮製品の開発
④ リメイクできる毛皮製品の開発
などを行っています。 続く

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毛皮通販

毛皮リフォーム専門店 毛皮製品の歴史
100年以上の歴史を持つ日本の毛皮文化も
大きく変わって来ています。
ファッションの一つとして人気を集め、通販やTVショッピングなどでも

手ごろに買える毛皮製品も豊富に見かけるようになりました。同時に、

毛皮専門店の数が激減し、毛皮の知識や販売経験のない人たちが、

販売するようになりました。  続く

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毛皮修理
毛皮職人

毛皮リフォーム専門店 毛皮製品の歴史
そのために、粗悪な製品も出回り、販売店と消費者の方々との

トラブルも増えています。 写真と商品が違うとかTVの画像のような

毛並みでないとか購入したが袖丈を短くすることもできないとか、

ボタンがとれたが付けなおすこともできないとか、売るだけの

メンテナンスができない販売店が増えているように思います。 続く

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日本の毛皮の歴史

毛皮リフォーム専門店 毛皮製品の歴史 (毛皮の本より)
毛皮を購入する際は、価格の安い高いにかかわらず袖丈詰めやサイズ調整が

できるお店をお選びください
100年の歴史というものの、日本の毛皮の歴史はまだ欧米諸国に比べると

大変に浅いので、毛皮を扱うかたも買われるかたも、日本独自の毛皮の歴史を

作って行くべきだと考えます。おわり

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毛皮の歴史

毛皮リフォーム専門店 (毛皮の本より)

毛皮製品の歴史 1

裸同然で暮らしていた人間の祖先が、寒さから身を守るために、食べるために

捕まえた動物の毛皮を防寒衣服として利用するのを思いついたのが、

人類にとっての衣服の歴史のはじまりです。
そのため、毛皮は最も歴史の古い衣服とされています

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最初の衣服

毛皮リフォーム専門店 (毛皮の本より)

毛皮製品の歴史2

『旧約聖書」の創世記の中で、エデンの園の中央にある知恵
の樹の実を取って食べた、裸のアダムとイブが園から追放され
るくだりに、「皮衣をつくって彼らに着せ、エホバは、彼らを

エデンの園から追い出した」とあります。

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毛皮

毛皮リフォーム専門店 毛皮製品の歴史3 (毛皮の本より)
古代エジプトやローマ時代には、毛皮は権力の象徴の一つと
して、貴重品として扱われるようになりました。
エジプトの王族はそのシンボルとして、ライオンの毛皮を用いていました。

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毛皮の歴史

毛皮リフォーム専門店 毛皮製品の歴史4 (毛皮の本より)
毛皮はまた、第一級の戦利品でもあったようです。

インドに遠征したアッシリアのセラミス女王は、戦利品として

8000枚のトラの毛皮を持ち帰り、バビロン宮殿の床に敷きつめた

ということです。

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ロシアンセーブル
最高級品

毛皮リフォーム専門店 毛皮製品の歴史5(毛皮の本より)
中世になると、毛皮は、王侯・貴族・僧侶の間で高い位を
意味するものとして使われるようになりました
ことに、セーブルやアーミンは完全にステータスシンボル
として扱われ、一般の人は全く使用できませんでした。
王侯・貴族・僧侶は競って毛皮で盛装しました。
王侯に人気のあったのは、真っ白なアーミンの毛皮です。
アーミンは、イギリス国王の戴冠式典のケープに用いられていることで

知られています。

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フランスの毛皮

毛皮リフォーム専門店 毛皮製品の歴史6 (毛皮の本より)
15世紀、フランスのシャルル八世の婚礼の際には、その妃
のために整えられたガウンは、160枚のテンの毛皮とレース
の縁飾りに、金の刺緒と宝石を飾ったものでした。

17世紀のヨーロッパでは、ビーバーの毛皮が珍重されました。
神士用の帽子(ビーバーハット)として流行したそうです。

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毛皮の歴史

毛皮リフォーム専門店 毛皮製品の歴史 7 (毛皮の本より)
ステータスシンボルから軍事用へ
ナポレオンの時代は、華美な流行は影をひそめ、代わって
アストラカンやクマなど軍事用の防寒性の高い毛皮が多く作られました。
これらは、ロシアに遠征したフランス軍の防寒着として作られた
ものです。ヨーロッパの戦乱がおさまると、再び毛皮は生活の中に
戻ってきました。

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毛皮リフォーム専門店 毛皮製品の歴史 8 (毛皮の本より)
ヨーロッパの戦乱がおさまったころから、やっと軍事用品からファッションの

一つとして毛皮が用いられるようになりました。
お金持ちの間では、毛皮を帽子や外套の衿につけることが流行しました。
19世紀中ごろには、毛皮はファッションへと変わってきました。

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毛皮リフォーム専門店 毛皮製品の歴史 9(毛皮の本より)
1870年パリのファッション界で「ズウセ」というお店が
はじめて毛皮を使用しました。
このとき、初めて防寒着として毛皮を裏面に使ったデザインではなく
毛皮を表地に使ったデザインのものが発表されました。
それまでは、毛皮といえば、ほとんど内側にライナーとして使うか、
袖口や衿などにトリミングとして使われていました。

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毛皮リフォーム専門店 毛皮製品の歴史 10(毛皮の本より)
1886年、アメリカでミンクの養殖に成功しました。
さらに品種改良の努力を続けているうちに、1930年に
突然変異による美しいブルーグレーのミンクが登場したのです
その後、各種の美しいミューテーションミンクが次々と生み出
され、ミンクは「着る宝石」として、一世を風靡することになり、
毛皮がファッションとして大きく発展するきっかけになりました。

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毛皮リフォーム専門店 毛皮製品の歴史 11(毛皮の本より) 日本の毛皮
日本の毛皮の歴史は大陸から伝わりました
毛皮は中国から日本へ伝わりました。
聖武天皇の時代、西暦730年、中国からの貢物の中にセー
ブルがあったという記録があります。

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毛皮リフォーム専門店 毛皮製品の歴史 12 (毛皮の本より) 日本の毛皮
平安朝にかかれた『宇津保物語』や「源氏物語』の末摘花の中
に、「ふるき皮ぎぬ」の言葉がでてきますが、ふるき(布流岐ま
たは布流木)とは、蒙古語の“bulaga" の靴ったもので、ヨーロ
ッパで珍重されていたセーブルのことだと思われます。「ふるき皮
ぎぬ」というのは、セーブルを使った毛皮の衣裳のことで、
語源からも、セーブルが大陸方面から渡来していたことを示して
います。このころ、日本では、中国やヨーロッパに比べて、毛皮に
ついての関心はうすく、大陸方面から渡来した高級毛皮が、

一部の貴族の間で珍重されただけのようです。
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毛皮リフォーム専門店 毛皮製品の歴史 13(毛皮の本より) 日本の毛皮
日本の毛皮輪出
日本は、北海道以外は北欧や中国北部のように極寒ということは
ありませんし、動物を殺生するのは好まない国民で、牛肉でさえ
食べはじめたのはごく最近というわけで、毛皮を衣服にすることは
なかなか定着しませんでした。

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毛皮リフォーム専門店 毛皮製品の歴史 14(毛皮の本より) 日本の毛皮
しかし、明治になってからは日本のイタチ、タヌキ、
テンなどは神戸や横浜の外国人の貿易商の手で原皮が集められ、
欧米へ輸出されていました。

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毛皮リフォーム専門店 毛皮製品の歴史 15(毛皮の本より) 日本の毛皮
日本での毛皮の需要は、イタチとタヌキの毛を筆にする程度でした
防寒着としても、ほとんど使われませんでした。
明治時代のキツネやタヌキは野生のものを捕獲して原皮をとった
もので、養殖はまだ行なわれませんでした。

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毛皮リフォーム専門店 毛皮製品の歴史 16(毛皮の本より) 戦争と毛皮
日本は日清戦争で、ウサギの毛皮を防寒具に使い、大変暖かな
ものであることを知りました。その後の日露戦争のときも、
ウサギの毛皮を使った軍用毛皮という需要が定着しました。

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毛皮リフォーム専門店 毛皮製品の歴史 17(毛皮の本より)
ヨーロッパでは、ナポレオンがロシアを攻略するときに寒さ
で敗北をしたのをきっかけに、軍用毛皮の需要が高まり
第二次世界大戦のときにドイツは、ヌートリアの毛皮をたくさ
ん用意したそうです。

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毛皮リフォーム専門店 毛皮製品の歴史 18(毛皮の本より)
日本でも軍需毛皮のウサギの生産は、年間800万枚といわれて
いました。太平洋戦争の終りにはこれでも不足になったために、
民間からイヌやネコの毛皮が供出され、北海道からは、
キツネやラッコの毛皮が供出されたそうです。

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毛皮リフォーム専門店 毛皮製品の歴史 19(毛皮の本より)
日清戦争以降、戦争で毛皮を身につけた男性達が毛皮の暖かさを知り
ステータスシンボルとしてコートやマントの裾や衿にラッコやカワウソ
の毛皮をつけだしました。
第一次世界大戦で大儲けした戦争成金の男性が、好んで毛皮を身に
つけたそうです。

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毛皮リフォーム専門店 毛皮製品の歴史 20(毛皮の本より)

ハリウッド映画の影響 昭和にはいってから、日本でも女性がキツネや

タヌキのマフラーをするようになりました。昭和の初めころ、無声だった

映画が音声入りのトーキーとなり、ハリウッド映画が全盛をきわめ、有名な
スターたちが毛皮を身につけているのを見て女性が毛皮を身に着ける様に

なりました。

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毛皮リフォーム専門店 毛皮製品の歴史 21(毛皮の本より) 
戦後、毛皮の養殖はイタチの毛皮が日本全国で50万枚ぐらい生産され、
約40万枚が主としてアメリカに輸出されて、ジャパニーズ
ミンクといわれ、婦人のコートやストールになりました。
残りの10万枚は、国内でコートやストールに加工されていました。
テンの毛皮も年間12000枚くらい生産されていました。

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毛皮リフォーム専門店 毛皮製品の歴史 22(毛皮の本より) 日本の毛皮店
日本最初の毛皮専門店は 創業明治元年1868(明治元年)
に山岡傳左衛門が慶応4年に日光金谷ホテルで明治元年に
開業した山岡毛皮店と言われています。

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毛皮リフォーム専門店 毛皮製品の歴史 23(毛皮の本より) 日本の毛皮店
その後、大正時代にはいると、東京、横浜、神戸などに、毛皮専門店が
できはじめました。 当時は主に男性用毛皮を扱っていたようです。

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毛皮リフォーム専門店 毛皮製品の歴史 24(毛皮の本より) 日本の毛皮店
昭和に入ってから、女性用のシルバーフォックスの衿巻きが
大流行し、戦後の毛皮は女性用が中心となりました。

日本でも毛皮専門店が100年以上の歴史をもつようになりました。
一般社団法人 日本毛皮協会会員の毛皮専門店であれば安心して
買うことができます。

それ以外の婦人服店・呉服店・宝飾店・ホテルなどの展示会で
購入される場合は、商品にブランド名の書かれた織ネームが付いて
いるか、洗濯ラベルにメーカー名や連絡先が書かれているか、などを
確かめて購入されることをお勧めします。

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毛皮リフォーム専門店 毛皮製品の歴史 25(毛皮の本より) 毛皮の構造と特性
毛皮は、字のとおり、毛の部分と皮の部分とからできています。
毛皮の毛の部分は、硬く長い刺毛と柔らかく短い綿毛から
できています。 通常は、刺毛と綿毛をそのまま使用して、
コートやジャケットを作りますが、毛皮の種類によっては、
刺毛を抜いて綿毛だけにしてコートを作ったり、刺毛と綿毛を

短く刈ってジャケットを作ったりもします。

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革・毛皮専門店 毛皮製品の歴史 26(毛皮の本より) 毛皮の構造と特性
動物の体温の発散を防ぎ、いわゆる防寒に役立っているのが綿毛です。
毛皮の価値は、この綿毛がよく密生しているものが良いと言われています。
綿毛の密生していない毛皮は耐久性が弱く、2~3年で
毛が寝てしまって、保温性も失われていきます。

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革・毛皮専門店 毛皮製品の歴史 27(毛皮の本より) 毛皮の構造と特性

毛皮を選ぶときは、刺毛の艶や色だけでなく、綿毛の状態を見る
ことも大事です。良い綿毛かどうかの見極め方は、
毛皮の毛並みの下からふっと吹いてみて、上毛が弾力をもって

元どおりになれば、その綿毛は良いものと思ってよいです。

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革・毛皮専門店 毛皮製品の歴史 28 (毛皮の本より) 毛皮の構造と特性
毛皮が2000年もの昔から現在に至るまで、さまざまな天然素材や
化学繊維のなかで、最高級の衣料用素材として君臨しています。
その理由として第一にあげられるのが、防寒用としての保温力です。
北ヨーロッパや北アメリカ、ロシアでは、おしゃれというより、
防寒のために、毛皮はなくてはならない物なのです。
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革・毛皮専門店 毛皮製品の歴史 29(毛皮の本より) 毛皮の構造と特性
毛皮が防寒に優れているのは、天然素材であること、
そして、密生している綿毛の一本一本のすき間に
暖かい空気が留まることで、大きな保温効果を発揮します。
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革・毛皮専門店 毛皮製品の歴史 30(毛皮の本より) 毛皮の構造と特性
保温性の次は、耐久性です。ほとんどの毛皮は、取扱いにさえ

注意すれば、半永久的に長持ちしますといってもいいくらいです。

ヨーロッパでは、毛皮のコートを祖母、母、娘と何代にもわたって
形を変えながら使用していることは、珍しいことではありません
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革・毛皮専門店 毛皮製品の歴史 31(毛皮の本より) 毛皮の構造と特性
毛皮は通気性があり水をはじく実用的な特性があります。
ほとんどの毛皮は、少々の雨や雪にぬれても、刺毛と綿毛が水分を

はじいてしまいます。新しい傘のように、きれいな水滴ができて

弾いた水滴が落ちて行きます。
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革・毛皮専門店 毛皮製品の歴史 32(毛皮の本より) 毛皮の構造と特性
毛皮は暖かくて通気性に優れているので、汗をかいてもむれずに着心地良く
着れるなどの魅力もありますが、第一は、豪華で気品のある美しさです。
毛皮は、独特の光沢と綿毛のやわらかさが魅力です。
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革・毛皮専門店 毛皮製品の歴史 33(毛皮の本より) 毛皮の構造と特性
毛皮の色と模様には、天然の素材のバラエティに富んだ美しさがあります。
刺毛と綿毛の微妙なコントラストや、ヒョウやオセロットなどの美しい
斑紋は、フェイクファーやエコファーなど、化学繊維ではつくり出すことは
できません。天然素材ですから同じ種類のものでも濃淡が
違っていたりして、「決して同じ毛質のコートはない」のです。
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革・毛皮専門店 毛皮製品の歴史(毛皮の本より)34 毛皮の構造と特性
養殖ミンクの長い歴史のなかで、ミューテーションミンクの
品種改良のおかげで、ミンクだけでも40色の種類があります。
ミューテーションで作りだせない色は、漂白や染色技術の発達で
作れるようになりました。
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史1 (JFA50年史より)

「ふるき皮ぎぬ」からはじまる。
古代から中世まで聖書の創世紀に「神、アダムとその妻に皮衣を
作りて、彼らに着せ給えり」と書いてある。毛皮は人類の誕生とともに
登場した、最初の衣服であった。
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史2 (JFA50年史より)
時代が進むにつれて、毛皮は防寒の機能と同時に、
権威の象徴として利用されるようになる。古代エジプトでは、
ヒョウの毛皮が王や高僧のステイタス·シンボルと
なっていた。
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史3 (JFA50年史より)
ギリシア時代に毛皮の加工や取引が活発に行われる
ようになったが、ローマ時代に入ると、毛皮を着用する
北方の人々が荒っぽい人たちと見る傾向が出てくる。
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史4 (JFA50年史より)
ローマ帝国が滅亡し、ルネッサンス時代を迎えると、
機能面のほかに装飾面、社会的シンボルとして毛皮が
見直され、ヨーロッパの王侯·貴族は競ってテン、
キツネ、ラッコ、アーミンなどの毛皮をまとう。中でも
ビーバーが大流行し、これが後に、北米大陸開拓の
原動力となる。
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史5 (JFA50年史より)
世界で最初に毛皮の利用価値を高め衣料として発展させたのは、
アジア、とくに中国であるとされている。
東方遠征したマルコ。ポーロは、東洋人が毛皮を実に巧みに
衣服や室内用として活用しているのに驚き、そのことを
『東方見聞録』 に記している。、その後中国で発達した毛皮の

利用法がヨーロッパにもたらされた。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史6 (JFA50年史より)
十三世紀くらいまで毛皮貿易の中心地はビザンチンとバグダッドだった。
毛皮商は、両都市からアジア、シベリア、黒海沿岸に出掛けて毛皮を
集荷した。 当時、毛皮の一大集散地を形成していた両都市には、
交易を通じ中国から毛皮文化の影響も受けてきたのである。
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史7 (JFA50年史より)
毛皮文化のわが国への波及

中国の毛皮文化は日本にも波及した。その歴史は意外に古く、

聖武天皇の時代(730年)には中国からの答礼品の中に
黒テン=セーブルがあったという記録がある。
 
 


毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史8 (JFA50年史より)
また平安時代の『宇津保物語』『源氏物語』に “ふるき皮ぎぬ”
という言葉が出てくる。“ふるき”は蒙古語の「BLUGA」(セーブル)の
なまったものと解釈でき、セーブルが平安時代までには外国から
伝わっていた可能性を示している。
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史9 (JFA50年史より)

中世に入ると、モンゴルの侵略によってビザンチンとバグダッドが没落し、
代わってドイツ。ハンザ同盟が毛皮の集散地を握る。
ロシアのノブゴロドに集荷された大量の毛皮がハンザ同盟の広範なルートを
経てヨーロッパに流入した。
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史10 (JFA50年史より)
毛皮のヨーロッパ流入に伴い、毛皮にさまざまな工夫を
凝らすようになり、諸国の宮廷を中心に、現代でも通用するような
斬新なデザイン、華麗な毛皮ファッションが登場するようになる。
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史11 (JFA50年史より)
毛皮獣の中で、アーミンは王族だけに着用が許されたことから
ロイヤル·ファーと呼ばれた。フランス革命を経てナポレオン時代に
入ると、華美な 流行は姿を消し、毛皮の新しい利用法として、
アストラカンやクマなどが軍需用(防寒着など)に活用されはじめた。
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史12 (JFA50年史より)
わが国では武士が鞍覆い、行騰、敷物に使った。なむかばきかでも
トラ、ヒョウの毛皮は将軍家、御三家、クマは判官や弾正など

と官位によって区別されて使用され、ヨーロッパと同様に

権威と富を象徴するものであった。
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史13 (JFA50年史より)
江戸時代末期、米国やロシア、欧州の冒険家たちが
カムチャッカ半島や日本の北辺の海や島に毛皮を求め、
大船隊を仕立てやってくるようになった。樺太や北海道で
獲られる毛皮も交易の対象となった。
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史14 (JFA50年史より)
毛皮が産業となりはじめたのは明治中頃からである。
日本人は農耕民族であり、仏教の影響で禽獣殺傷を
嫌って明治になるまで獣肉を食べる習慣がなく、
また気候が温暖であったため衣料として毛皮を
利用することが定着しなかった。
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史15 (JFA50年史より)
シンボルから生活の素材へ
十九世紀から二十世紀初めの世界毛皮産業 古代·中世と新余曲折を経て、
十九世紀になると、毛皮はステイタス。シンボルというよりも
ファッションを彩る一素材、衣料の一素材として位置付けられ、
産業として活性化する。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史16 (JFA50年史より)
毛皮産地は拡大の一途をたどり、貿易業、加工業は
ますます発展し、ヨーロッパ各地で競売市場が
立つようになった。ヨーロッパ諸国の中には原皮を輸入し、
加工製品を一輸出するという国も出現しはじめた。
この傾向は、十九世紀半ばからの毛皮養殖産業の

興りと相まって二十世紀初めにはますます強まった。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史17 (JFA50年史より)
当時の主要毛皮生産地は、北半球では米国、ロシア、
カナダ、中国およびヨーロッパ諸国で、ロンドン、 
パリ、ウィーン、ライプチヒで盛んに毛皮競売市場が
開催され、各国の手毛皮商人、加工業者が集まった。
南半球では、オーストラリアでウサギ、南米で
ヌートリア、カワウソ、アフリカでラムが、大量に

生産された。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史18 (JFA50年史より)
1928年(昭和3)の統計資料によると、世界の毛皮生産額は
原皮が約八億円で、生産者(猟師、飼育業者)、原皮商
(下買人、生皮買入商、毛皮貿易商、オークション会社)、
毛皮加工業(蘇製業、染色業、屑皮加工業、筆毛製造業、
毛皮製造業、毛皮縫製業)、毛皮小売商(毛皮衣装店、
デパート毛皮部、デザイナー)、毛皮屑問屋、さらに毛皮
付帯産業=機械商(ミシン、なめし、縫製加工機械)、染料、
薬品製造業、冷蔵庫、その他の従業員の生業を成り立たしめ、

最終製品市場は推定で約五十億円となっている。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史19 (JFA50年史より)
世界最大の消費地、米国の1936年(昭和1)の毛皮輸入額は
八千百六十万(当時の円換算レートで約三億円)
ちなみに昭和記年度の日本の国家予算は二十八億円である。

当時の日本の毛皮輸出額は三百万円台だった。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史20 (JFA50年史より)
わが国の毛皮産業の夜明け 明治から戦前まで
輸出からはじまり軍需用晶へ
わが国の毛皮産業は輸出からはじまった。もっぱら
毛筆用として、イタチやタヌキなどの野生獣を集荷
していた江戸末期の毛皮商人は、明治初期には北海道から
カムチャッカ半島方面へ、北へ北へと毛皮を求めるように

なる。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史21 (JFA50年史より)

大量に集荷できるようになったイタチ、タヌキ、ウサギ
などの毛皮を横浜や神戸から欧米に輸出し、1890年

(明治23)頃からは多大な外貨を獲得するようになった。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史22 (JFA50年史より)
しかし、輸出産業としての着実な歩みも、ロシア革命に
より北方からの毛皮の集荷が思うようにいかなくなり、
大正期は頓挫する。

一方で、明治政府の欧化政策により華族や軍人たちの

間ではじまった洋装化は庶民にも広がり、国内でも

毛皮が使用されるようになる。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史23(JFA50年史より)
毛皮需要が高まる大きなきっかけとなったのは日清
戦争(1894~5年)、日露戦争(1904~5年)だった。
軍需用品。防寒具として毛皮が用いられるようになる。
軍需用となると大量の毛皮が必要だ。安価で、その割には
表面積が広く、集荷しやすく、また食肉としても活用できる

ウサギがクローズアップされた。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史24(JFA50年史より)
チンチラウサギは織物にも利用された。
洋装化の普及に伴い、「和洋折衷」ファッションが
男性の間で流行した。大正時代半ばには男性用トンビ
(合羽)という和装コートが流行し、その衿に毛皮を
一用いることが華族·金持ちのステイタス·シンボルと

なった。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史25(JFA50年史より)

オーバーコート、トンビの衿皮の流行は昭和

初期に入っても続いた。ちなみに衿皮の単価は
ラッコが350円以上、カワウソが20~100円、
オットセイ12円である。その頃の大卒初任給が
50円ほど、大企業の課長クラスの月給が100円ほど。

いかに高価であったかがわかる。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史26(JFA50年史より)
昭和元年は女性ファッション元年
1926年(昭和元)には、わが国で初めて女性のボアや
ショールにキツネやタヌキを用いたものが作られるように
なる。また外交官婦人や芸能人が毛皮のコートを着用するように
なったが、非常に高価で、一般人たちが買えるようなものでは
なかった。
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史27(JFA50年史より)
1930年(昭和5)頃から、ボアを先駆として大都市の間で
服飾毛皮の流行が本格化した。まだ毛皮のコートは高価で
需要は限られたが、ボアやショールは広く普及した。
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史28(JFA50年史より)
毛皮の輸入には100パーセントの関税がかかる
ハンデキャップがあるにもかかわらず需要は増大し、
1935年(昭和10)頃にはピークを迎えた。
消費地としては東京が飛び抜けていた。同年に対米
為替相場が下落して輸入価格が高くなったため、輸入
は減少に転じていく。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史29(JFA50年史より)
当時の毛皮輸出額は官庁の統計によると年間300万円、
輸入額は100万円となっているが、輸出業者の推計では、
年間輸出高はその倍以上の700万円となっていた。
輸出毛皮のうち野生毛皮が半分を占め、そのうちイタチが
七割で、そのほかタヌキ、テン、キツネ、ムササビ、リス
などとなっていた。輸出毛皮の残り半分は家ウサギで、
年間500万枚が輸出され350万円を稼いだ。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史30(JFA50年史より)
国産野生毛皮の9割は輸出され、1割が国内で消費された。
猟師および生産者の手元にある毛皮は、最寄の地方
在住の毛皮買入商や地方都市毛皮買入商を経由し、京浜
および阪神の毛皮貿易商の倉庫に集荷され海外に輸出された。
国内需要に応じる商人は、都市に一年中店を張っている
毛皮小売商と10月から4月まで毛皮を陳列する百貨店の

毛皮部があった。
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史31(JFA50年史より)
このほか消費地問屋があった。この問屋は、ショーウインドーを
持たず、倉庫のみを有し、原皮商の活動期(11月~5月)の終わる
5、6月頃から海外に注文を出したり、大都市の毛皮貿易商より
原料を買い付けたりして活動を開始し、原皮を加工に出し、
9月には製品をとり揃え、デパート毛皮部、毛皮小売商および
洋服屋に卸していた。加工屋であるなめし業や縫製業で大規模な
ところは日本毛皮貿易㈱くらいで、あとは毛皮小売商の下請けで
規模は小さかった。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史32(JFA50年史より)
毛皮の暗黒時代
しかし、毛皮産業は軍国主義時代の到来とともに衰退していく。
1940年(昭和15)の賛沢品制約令により毛皮の製造販売が規制され、
太平洋戦争勃発により毛皮の輸入が禁止(これは1962年まで続く)
され、毛皮業界は暗黒時代に入っていった。
一方、輸出はイタチ、テンなどを米国、ヨーロッパに向けて出荷して
いたが、これも1941年(昭和16)の日米開戦とともに途絶え、毛皮は暴落した。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史33(JFA50年史より)
しかし、戦時下でも、満州に在住する白系ロシア人からの買い注文があり、
1942年(昭和17)からは、大日本毛皮統制株式会社を通じて輸出を行うことに
した。ただ同社は役所向けの組織で、毛皮各社が自由に商売をしていたと
いうのが実態である。毛皮輸出組合も結成され、輸出許可を得て、満州、
上海などに輸出していた。輸出用としてはイタチが最も多く、価格は
18インチ平均で15~20円と高価だった。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史34(JFA50年史より)
活用の拡大が養殖産業を興す キツネからミンクへ
毛皮産業の隆盛は養殖によってもたらされた。
野生獣は毛変わりがある。野生毛皮獣で質の良い毛
は冬毛である。質量、色彩ともに冬毛に真価が現れる。
しかも、最も良い毛の時期はわずか初冬の二、三週
間で、その後は色あせ、毛擦れなどで全体の光沢が失
われていく。このため、野生動物の毛皮は品質がまち
まちで、優秀なものは少ない。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史35(JFA50年史より)
したがって、養殖がはじまるまでは、一定品質の毛
皮を大量に得ることが困難であった。
毛皮の需要が世界的に拡大すると、野生動物は捕獲
により次第に減少し、毛皮用動物の捕獲を制限せざる
を得なくなり、養殖の必要性が出てきた。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史36(JFA50年史より)

十九世紀に入り、米国の狩猟者の中に、野生のキッ
ネを捕らえて飼育し、冬の毛皮の最盛期に屠殺するこ
とが行われはじめた。これが養殖産業のはじまりで、
まずキツネがクローズアップされた。養殖はなかなか
実用にはいたらなかったが、1860年、カナダの
オンタリオ州ではじめて銀黒キツネの養殖がはじまり、
1886年、カナダの大毛皮会社「ハドソン。ベイ商会」
のストラスコナ卿が、このキツネを飼育中に繁殖させ
ることに成功した。
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史37(JFA50年史より)
1886年、カナダの大毛皮会社「ハドソン。ベイ商会」
のストラスコナ卿が、このキツネを飼育中に繁殖させ
ることに成功した。
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史38(JFA50年史より)
その後、同州プリンス。エドワード島では、
競って野生キツネを捕らえて飼育するようになり、
1894年頃から毛皮獣の養殖産業が勃興する。
同島には1910年には十二の養狐場があったが、

飼育者たちは飼育方法を秘密にし、もっぱら種畜の

販売を行い、大いに収益を上げていた。
やがて飼育法が公開されるようになり、養殖熱は世界的な
高まりを見せるようになった。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史39(JFA50年史より)
わが国の養殖はウサギから
わが国では、日清·日露戦争後、軍需用として大量の
ウサギが必要となり、ウサギの養殖がはじまった。
1915年(大正4)世界的なキツネブームを背景に樺太庁で
養殖を試みたのを手はじめに、翌年農林省と日魯漁業が
共同で青キツネなどを捕獲して千島諸島で飼育を開始し、
その後カナダから種畜を導入し、北海道、樺太を中心に
銀キツネの養殖が盛んになり、第二次世界大戦の終わりまで
続いた。https://twogod.com/index.html
 
 
毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史40(JFA50年史より)
銀キツネは、第二次世界大戦前は毛皮の花形種となり、
世界の生産は百二十万枚を超えた。わが国からは年間
約三万枚の原皮が当時の世界の毛皮市場の中心地ロンドンに
輸出されていた。銀キツネの全盛期に、ノルウェーで、

銀キツネからプラチナキツネが作り出された。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史41(JFA50年史より)
ノルウェー政府は積極的にプラチナキツネの養殖。
増産を援助し、米国や他の国々に輸出し、一時は銀キツネを
圧倒した。戦後、花形種となったのはミンクである。
ミンクが米国、カナダで養殖されはじめたのはキツネの
養殖よりも古く、1860年頃である。1925年(大正14)頃にはミン
ク養殖業者はかなり増え、ミンク生産は拡大していた。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史42(JFA50年史より)
ところが、銀キツネが流行しはじめたため、ミンク
飼育は伸展せず、停頓状態になった。ミンクは野生種
そのままを養殖したものに執着していたため、毛皮の
価格も低く、大きな収穫が得られなかったためもあっ
しかし、戦時から戦後にかけて、ミューテーション
ミンク(シルバーブルーミンクが中心)に重きを置いて
養殖されたために、天然産のミンクを退けて現代
の流行の先端に立つことになったのである。
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史43(JFA50年史より)
この当時、世界では数量において野生種の毛皮は全
毛皮の約七十五パーセントを占めていたが、流行を支
配しているのは養殖毛皮であった。
ミンクとカラクールが中心だったが、ヌートリア、
米国におけるチンチラ、また各国のウサギなどもかなりの
数量に上った。
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史44(JFA50年史より)
毛皮産業の胎動期 第二次世界大戦後:ジャパニーズ·ミンク"が売れる
わが国では戦時下、毛皮は軍需用として生産された
ため、1945年(昭和20)の終戦により需要はまったく
なくなった。毛皮市場は空白が続くことになる。
戦後しばらくは、ウサギを主体に衿巻きや羽織下、
チョッキなどが作られ、闇市で売られた。
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史45(JFA50年史より)
その後、進駐軍やその家族を対象にイタチ、テンを
使用した毛皮製品が売れはじめ、とくにイタチは
"ジャパニーズ。ミンク。として珍重された。
米国人は東京や横浜の毛皮商店でコートを買った。
またPX、あるいは横浜や三沢など基地に近い都市で
の毛皮市は大変なにぎわいをみせた。
1946年(昭和2)頃でイタチ原皮は一枚70~150円。
コート一着で100~120枚使用し、店頭では5万~7万円で
買われた。1949年(昭和2)には同300~500円に高騰し、
コートは10万~12万円で販売された。
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史46(JFA50年史より)
進駐軍向けの商売は物品税がかからず、大きな利益一
が上がり、1950~1951年頃は朝鮮戦争特需景気で
空前のイタチブームとなった。
一九五九年(昭和弘)現美智子皇后の御成婚は、日本の
毛皮史にとってエポックメーキングとなった。美智子妃が
身に付けていたミンクのストールは、ミッチーブームに
乗って女性の購買心理を刺激し、これを契機に女性用毛皮が
売れはじめた。
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史47(JFA50年史より)
シルバーブルー出現で市場は一変
ミンクの歴史は「シルバーブルー」の出現によって一変した。
毛皮産業史の流れの中でミンクは機軸をなしているが、

養殖ミンクになっても毛質は野生種と変わらず黒に近い褐色だった。

米国では長年にわたり、品種改良の努力が続けられ
ていた。1931年(昭和6)米国ウイスコンシン州のある
養殖場で突然変異種であるシルバーブルーの品種が出現した。
このミューテーション。ミンクの登場により、養殖ミンクの
形態および毛皮産業は大きく転換することになる。
シルバーブルーからもっと色の美しいミンクが作られ
サファイアミンクと名付けられた。
品種改良はさらに進められパステル、ホワイト、ダークなど
約四十種の毛色のミンクが掛け合わせによって出現した。
これによりミンクは世界で一大ブームを巻き起こし、
毛皮市場発展に貢献した。
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史48(JFA50年史より)

北海道で日本産ミンクの飼育はじまる

1953年(昭和2)北海道でミンクの養殖が開始
され、わが国の毛皮産業の再生がはじまった。
当時、海外はミンクを中心に動いていた。高碕達之
助氏が渡米した際、その状況を目の当たりにし、帰国
後ミンクの養殖を商社や水産会社に勧めたところから
はじまったようである。
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史49(JFA50年史より)
三井物産は札幌郊外に飼育会社「東邦ミンク」を設立した。
また水産会社も「ミンクの毛皮は一万円」というキャッチ
フレーズのもとにミンク養殖に乗り出した。
ちなみに1961年(昭和36)頃の大卒初任給は一万三千円
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史50(JFA50年史より)

養殖業者は、帯広畜産大学をはじめ獣医·畜産科の学生を
採用し、人材の確保に努めたが、飼育は一朝一夕に
できるものではなく、非常に苦労した。米国の文献、
雑誌から情報を得て日本における飼育法を開発した。
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史51(JFA50年史より)
また米国から技術者を招き指導を受けたりした。
日本にはまだ市場が形成されていなかったので、
ミンクは主に輸出目的で飼育された。いかに日本産ミンクを
アピールし、販路を開拓していくかが大きな課題となった。
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史52(JFA50年史より)
大手水産会社が共同で缶詰の輸出共販会社を運営し
ていることに範を求め、それをモデルにミンクの輸出
共販会社を設立、同時に日本ミンク協会も設立された。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史53(JFA50年史より)
一方、北海道庁は1953年、国内産業振興の一助
として米国から二十四頭のミューテーション。ミンクを輸入し、
この種ミンクを飼育業者に貸し付けてミンク増産を奨励した。
それらをまとめる団体として北海道ミンク農協が生まれ、
後に輸出共販会社とともに日本ミンク協会に統合した。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史54(JFA50年史より)
輸出共販会社ができたものの、米国では生産者団体の力が強く、
ニューヨーク。オークション、ハドソン·ベイ· オークションに
外国産ミンクは上場できなかったので、わが国のミンクは
ニューヨークのミンク専門ブローカーに委託·販売してもらった。

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2022年 新年カレンダー 寅年
新年は1月6日より営業
1月8日 10:00より初売り
中身の見える福袋       
11000円
33000円
44000円
55000円
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史55(JFA50年史より)
輸入により広がる国内市場
1962年(昭和幻)、それまでまったく輸入できなかった毛皮の輸入が自由化され、

海外の毛皮が自由に買えるようになった。 自由化された途端に小売り市場に

ウサギのブームが巻き起こり、1962~1963年は月当たり平均930万枚を輸入する

ほどの人気となった。輸入先はフランスが最も多く、イタリア、スペインと続いた。

その後、フランスがウサギを減産したのに伴い中国からの輸入が増加した。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史56(JFA50年史より)
小売市場でのウサギブームにはじまり、1964年~1984年に
かけてはキツネのボアがブームとなった。
ブームの後には、その反動から大暴落もあった。キツネの
ボアのプームが終息した1969年には企業の倒産が相次いで
起き、業界は沈滞した。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史57(JFA50年史より)
しかし、回復も早かった。翌年には、それまで部分品だった
毛皮がウサギを中心にジャケット、コートの需要が増大し、
1973年頃にピークを迎える。当時、中国からウサギのプレート
(十枚近くを張り合わせたもので60×120センチ)を約200万枚
輸入した。それ以外にフランスからも数百万枚単位で輸入した。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史58(JFA50年史より)
ウサギブームは1974年から下火となり、1975年はラム(仔ヒツジ)が
売れるようになった。1980年頃から本物志向·高級志向の強まりから
ミンクの売れ行きが上昇し、1984年頃にピークに達した。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史59(JFA50年史より)
当時の毛皮市場の規模は約2850億円と推定されている。
1965年から十年間は、日魯毛皮、大洋ミンクなどの
水産系列会社が毛皮産業に参入し、既存の毛皮業者との
軌牒も生じた時代である。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史60(JFA50年史より)
また青葉会、睦会などオークション形態の交換会が
月に一回ほど開催されていた。ウサギ、キツネ、その他、
それぞれの専門業者が原皮材料や製品を持ち寄って交換売買した。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史61(JFA50年史より)
一喜一憂のミンク市場

1964年(昭和39)ミンク共販会社は北海道の毛皮業者の
協力を得て、第一回のミンク。オークションを開催した。
札幌にある帝国製麻の工場にある女子寮の建物を借りて、
そこを集荷場とした。第一回オークションの上場枚数は
5011万枚であった。第三回から海外のシステムをとり入れて、
会場で毛皮を下見してもらい、毛皮を出さずにカタログだけで
競りを行った。その手法は今日までも続いている。この頃から

日本でミンクの毛皮が市場に浸透しはじめていく
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史62(JFA50年史より)
輸出については、毛皮の集散地ロンドンにハドソン
·ベイ·オークション(H.B.C)、アニング。チャドウィック
カイバーという二つのオークション会社があり、
1964年そこにはじめて上場し、良い値段で取引できた。
しかし、毛皮の相場は急変し、翌年は日本産ミンクは
まったく振るわず、売れても前年の半値にも届かなかった。
その翌年は相場が回復し値を戻すなど、一喜一憂の歴史だった。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史63(JFA50年史より)
ミンク生産業者にとって、1960年代半ばからし
ばらく苦しい時期が続いた。ミンクの毛皮はまだそれ
ほど売れず、採算のとれる飼育場はほとんどないとい
う状態だった。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史64(JFA50年史より)
毛皮が自由に扱えるようにはなったものの、先行き
にそれほど夢が持てないというのが当時の業者の実感
だった。ただ、その間、ミンク業者は優秀な技術を蓄積し、
力を蓄えた。いわば、この時期は1980年代のミンク,ブームを
迎えるまでの,充電期"として位置付けられる。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史65(JFA50年史より)
国内ミンクの生産枚数はピーク時でも年間70万~80万枚
(全世界では2500万枚から3000万枚)にすぎず、市場が
拡大するにつれ、ミンク生産業界の生産能力では需要に
追いつかなくなり輸入が増大した。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史66(JFA50年史より)
当初は原皮を海外から輸入し、海外(とくに中国)か
ら職人を入れたりしてコートなどを生産していたが、
旺盛な需要にはとうてい間に合わないことから製品輸
入が増大した。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史67(JFA50年史より)
輸入統計によると、1972年でわずか十億円だった
毛皮最終製品の輸入金額は、1975年には109億円、
1981年には454億円と膨らんでいる。
また大量生産大量販売のシステムが確立し、誰でも
毛皮を買えるようになった。大手商社が毛皮ビジネスに
参入したことも毛皮市場の拡大に弾みをつけた。
一方で、市場が拡大し生産スケールが大規模になって
いくにつれ、在庫も増大し、やがて問題化していく。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史76(JFA50年史より)
バブル経済の崩壊により、毛皮市場も停滞を強いられた。また、
欧米では1980年代後半から狂信的な動物権利運動が起こり、
これも世界的な毛皮需要の減退の一因をなした。
動物権利運動は、その行き過ぎた理念ゆえに1994~1995年頃には
沈静化するが、世界の毛皮産業に少なからぬダメージを与えた。
長年の悲願だった物品税は消費税の導入とともに1987年(昭和2)に
廃止されたが、国内の小売市場規模は推定で90年2000億円、91年
1800億円と、ピーク時を大きく下回り、毛皮業界は売り上げ不振下、
人件費や金利負担の増大などが重くのしかかった。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史68(JFA50年史より)
円高により拡大に歯止め
毛皮市場は、1970年代後半から百貨店を中心に
売り場の構築が進み、消費の拡大傾向もあって売り上
げは増加、1980年代に入ると燭熟期を迎える。
物品税から推計した毛皮の小売り規模は1975年
730億円、76年940億円と急増し、77年は1080億円と
はじめて千億円台に乗り、78年1280億円、79年1500億円、
80年1800億円、81年2300億円と拡大に次ぐ拡大を続けた
伸び率が鈍化したのは82年から。82年は前年比4パーセントと
1970年以降では最低の伸び率で2400億円、83年は同8パーセント増の
2600億円、84年は6パーセント増の2750億円と一桁成長が
続き、同年がピークの年となった。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史69(JFA50年史より)
力強い成長を続けてきた毛皮市場だが、80年代半ばに入ると内外要因により停滞を余儀なくされた。85年は前年比5パーセント減と、プームの反動期
を除いてはじめてマイナス成長を記録した。翌86年
は2700億円と再び増勢に転じたが、以降は縮小基調をたどることになる。
毛皮市場の縮小をもたらした原因は、「円高」である。プラザ合意により、円高が国際的に定着し、1ドル160円を割り込む円高の下、原材料および製品の大半を輸入に依存する毛皮業界は、その影響を真っ向から受けた。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史70(JFA50年史より)
毛皮の原材料は主に12月から3月にかけて調達す
るが、仕入れた原材料はタンニング、染色、縫製加工を経
て、9月から10月にかけて市場に出回る。原材料の輸
入から製品として販売されるまで約1年の期間が必要
となる。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史71(JFA50年史より)
85年の場合、二月を中心とした仕入時期には1ドル260円だった
為替相場が、実際の販売時には220円前後にまで円が上昇したため、
「在庫の価値の目減り」という大きな差損が発生した。
輸入動向からみると、84年は前年比52パーセント増という空前の
伸びを示し、総輸入高は930億円に達したが、市場規模は6パーセントの
伸びにとどまり、毛皮業者は大量の在庫を抱えることになった。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史72(JFA50年史より)
発展を続けてきた毛皮市場だが、この頃から成長の歪みが顕在化してくる。
85年の総輸入高は前年比22パーセント減と輸入は抑制されたが、滞留在庫は十分に消化されたわけではなく、加えて販売チャネルの多様化により新規参入業者による完成品の輸入が増大し、その結果、粗悪品が増え
価格競争が激化した。また、年間を通してバーゲンセール、ディスカウン
トセールが行われ、こうした乱売合戦が品質志向に目覚めた消費者の購買意欲を低下させた。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史73(JFA50年史より)
円高により輸入コストは減少したが、価格競争による薄利多売傾向が
強まり販売単価はダウン。85年の販売着数は59万着と前年並みを確保し
たのに対し、平均単価は前年の34万円から32万2千円と5パーセント
低下し、市場はマイナス成長となり、毛皮業者にとっては実質利益が
薄くなるという現象も起きてきた。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史74(JFA50年史より)

半面、円高のメリットも出てきた。86年の小売市場は前年比4パーセント
増の2700億円にまで回復したが、これは原材料のオークションが底値を
示したことに加え円高·ドル安による輸入コストの減少により小売価格が
下がったことが大きい。また本物志向のニーズに対応した
デザイン提案などが消費者の購入を促した。
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史75(JFA50年史より)
87年初頭のオークションで原材料は前年とは一転、高騰し、年明け
以降のセールで在庫を一掃しようと満を持していた販売者サイドの
出鼻を挫いた。原毛皮の高騰により在庫価値が変動したため
「在庫調整」をせざるを得なくなり、売るに売れない状態となった。
原材料の高騰·急落は、しばしば毛皮業者の販売計画を狂せた。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史77(JFA50年史より)
小売市場は95年で1000億円にまで縮小した。毛皮素材別のシェアは、
シェアードミンク40パーセント、ミンク20パーセント、

フォックス(トリミングが主体)10パーセント、その他30パーセントといった割合。

小売市場は97年で650億円にまで低下。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史78(JFA50年史より)
ファーファッションの創造へ  
1990年以降毛皮の原料加工技術も毛皮の普及とともに向上し、
染色、プリント、ダブルフェース加工、刈り毛、抜き毛など、
さまざまな技術が導入改善され、技術革新とともに新しい毛皮が
市場に送り出されていった。80年代後半から90年代はじめにかけては、
こうした加工技術の改良をベースに、毛皮ファッションの多様化が進んだ。
素材では、恒常化しつつある暖冬対策として、ソフトでライトな毛皮が
開発された。またミンク一辺倒の市場から、トリミングを主体とした
フォックス、価格的に購入しやすいラム、さらにリス、ヌートリア、
ラビット、マスクラット、ウィーゼルなど素材の幅が広がった。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史79(JFA50年史より)
高級素材ではセーブル、チンチラなどが売れた。小物を中心とした
ファーファッショングッズも増え、コートやジャケット以外のアイテムにも
毛皮が用いられるようになった。毛皮業界は、新規需要を掘り起こすため、
レザーやカシミヤ、シルク、 ウールなど異素材との

コンビネーション製品の強化に力を入れた。
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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史80(JFA50年史より)
ファッション性を重視し、トレンドを踏まえた個性的な商品が開発された。、

衿、袖に毛皮を用いたコンビネライニングコートやリバーシブルーション製品は

アパレル製品としてとり扱われ、こなれた価格帯で売られていることもあって

根強い人気を維持している。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史81(JFA50年史より)
不景気による全般的な消費不振に、コンビネーション製品の増大などによる

単価ダウン、暖冬と、不利な材料が重なって、90年代は毛皮市場は縮小したが

アパレル業界における毛皮の扱いは増え、ファッション素材としての毛皮が定着した。

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毛皮の歴史 日本の毛皮産業小史82(JFA50年史より)
90年代は、バブル経済の崩壊とともに、消費は沈滞化した。
毛皮市場も縮小傾向となるが、一方で、高級品としての毛皮から、
消費者の多様化したライフスタイルに即応した毛皮という発想が浸透し、
毛皮は商品領域を広げた。21世紀、毛皮はファッション衣料という
性格をますます強めていくと思われる。その意味で、企画提案力が
需要増大の大きなカギとなる。

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毛皮の歴史  協会50年の沿革 1(JFA50年史より)
協会設立の経緯 国策としての輸出振興、日本再建の一翼を担う

戦後、日本は窮乏の極に陥り、経済統制の下、生活物資は極端に不足し、

人々はその日暮らしを強いられた。生活物資がなかった時代に、

隠匿物資として軍が持っていた毛皮が衣料として用いられ飛ぶように売れた。
一方で、日本再建のために、国にとって輸出産業の振興が急務となっていた。

毛皮産業もまた、重要な輸一出産業の一つとして嘱目され、政府は畜産振興5カ年計画を

打ち出すなど、毛皮業界をとり巻く内外の情勢は急激な展開を見せはじめた。

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毛皮の歴史  協会50年の沿革 2(JFA50年史より)
戦前では、わが国の毛皮業界はイタチ、ウサギ、タヌキ、テン、リスなどの毛皮を

米国向けに輸出していた。しかし、対米輸出は日米関係の悪化により1939年(昭和14年)頃

から中止せざるを得なくなり、戦後ようやく再開にこぎつけることになった。

戦後は、外貨獲得の必要もあって、政府の要望により国内産の毛皮はこぞって

輸出に回した。輸出するに際しては、毛皮の品質を農林省の検査官が厳重に

チェックを行った。

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毛皮の歴史  協会50年の沿革 3(JFA50年史より)
二団体が合併、日本原毛皮協会設立
戦後の急速な変化に対応するために、1949年(昭和2)の初めころから、
業界の主だった人々が中心となって一つの団体を作ろうという機運が
高まっていった。その核となったのは、古い歴史を持つ毛皮生産者
売買業務者の団体「日本原毛皮同業会」と、戦後貿易再開とともに
設立された「日本毛皮貿易協会」である。

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毛皮の歴史  協会50年の沿革 4(JFA50年史より)
二団体は、毛皮の増産、輸出振興に大きな役割を果たしてきたが、
日本の毛皮産業の未来を開くという大義の下に発展的に解消し、
合併することで合意した。 同年10月18日、創立総会が開催され、

出席者32名(委任状276名)が発足を決議、「日本原毛皮協会」が誕生した。

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毛皮の歴史  協会50年の沿革 5(JFA50年史より)
初代理事長に福井菊1三郎氏(前日本原毛皮同業会理事長)を選出し、
生産者·売買業者。貿易業者の三者が緊密な連携の下に政府の畜産振興計画に呼応し、

わが国の毛皮産業に資することなどを決議した。
12月8日協会設立申請を農林省に提出し、翌1950年(昭和5)1月17日
森幸太郎農林大臣から認可され、協会は正式に発足した。同時に戦前から
あった東京毛皮商工業協同組合も東京都から設立認可を受けた。
協会の会員は、なめす前のロースキンを扱う業者が主体だった。
また、両団体にまたがって加盟する業者も多かった。

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毛皮の歴史  協会50年の沿革 6(JFA50年史より)
事務所は戦前から日本原毛皮同業会が使用していた築地の第3ビルに
置くこととし、東京毛皮商工業協同組合も同居した。以後、今日まで
50年、協会は良い商品を公正な価格で消費者に届けることを基本理念に
①毛皮加工技術向上のための指導
②毛皮にかかる輸入関税の引き下げ、物品税(1987年廃止)の軽減などに
関する関係諸官庁との折衝
③消費者に対する正確で豊富な毛皮の知識、情報の認可広報活動
④会員相互の協調と親睦、業界内外への情報発信を目的とした
毛皮専門紙の発刊
初代福井理事長の後、二代目理事長は伊藤良雄氏(大興物産)に
引き継がれ、協会の創生期をリードした。

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毛皮の歴史  協会50年の沿革 7(JFA50年史より)
設立一年目 会員は約1200名
協同毛皮業界は当初、農林省の管轄のもとに置かれた。
毛皮を輸出するにも、品質の検定は農林省の検査官が
行い、その決定を受けなければならなかった。
戦後の復興の一環として畜産振興5カ年計画を推進
していた農林省は、協会に、毛皮の集荷を効率的に行
うために会員数を増加するよう要請した。

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毛皮の歴史  協会50年の沿革 8(JFA50年史より)
そのため協会設立一年目の会員数は1170名に上った。
会員の構成メンバーは生産·飼育業者、原毛皮輸入業者、
加工業者、卸売り·小売り業者などであった。
地域別では東京がいちばん多く、輸入業を含めて原皮業者が20名ほど、
加工業者、小売り業者がそれぞれ10~15名ほど加盟していた。
また一県で20~30の業者を数えたが、これは猟師が協会員として
加盟していたからである。初年度に会費を納めた会員は410名に

とどまった。
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毛皮の歴史  協会50年の沿革 9(JFA50年史より)
種兎改良を奨励し外貨獲得に貢献する
畜産振興策として各県で「畜産共進会」が盛んに実施された。
従来、日本産飼兎毛皮は世界において最も品質が良いとされ、
好評を博してきた。ところが、協会が設立される前年度頃までは、
戦中,戦後の混乱により輸出品飼兎は品質が低下しており、世界中から
苦情が続出し、相場下落の一因となっていた。

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毛皮の歴史  協会50年の沿革 10(JFA50年史より)
そこで協会は1950年の九月から1951年2月にかけて山形、和歌山、
富山、高知、岐阜、福島、千葉などでの共進会に協賛し、優秀種兎に
協会賞などを推進授与した。各地共進会への協賛は1968年(昭和43年
)まで続けた。当時、日本は外貨不足に悩んでおり、農林省、通産省は
毛皮輸出を奨励した。日本産原皮に対する信頼を原毛皮回復するため、
輸出は品質の良いものに限定し行うようにした。その頃、米国にウサギ100万枚前後、

イタチ60万~70万枚を輸出している。 これ以後、日本産原皮は再び品質に対する評価をとり戻し、

輸出産業として外貨獲得に貢献していく。大興物産、山崎産業、小林桂、長瀬商会などが
輸出貢献企業として通産省から表彰されている。

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毛皮の歴史  協会50年の沿革 11(JFA50年史より)
会員数減少の打開策で支部組織の確立へ
前述したように、発足時会員1170名のうち、初年度の会費納入者は454名ほどにとどまった。

また、当時は地方下部組織はなく、地方の会員も直接中央事務局と関わり合うことに

なっていたため(地方役員は置いた)、会費の納入、徴収には種々苦労がつきまとった

ことが『毛皮新報』から読み取れる。毛皮業界の活性化のための協会の事業計画も、

中央と地方の意思疎通に欠け、円滑に進行しなかった。一例をあげると、1951年~1952年の

事業計画の一つ、「毛皮増産運動」に、組織的に協力できたのは群馬県ただ一県だった。

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毛皮の歴史  協会50年の沿革 12(JFA50年史より)

かくして会員は激減した。1950年(昭和25)は
これらの状況を打開するために、事業活動の強化,
徹底と、会員増の施策を講じる必要があった。
このことは農林省からも機会あるごとに要請されていた。
打開策の一つが支部組織の確立である。

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毛皮の歴史  協会50年の沿革 13(JFA50年史より)
1956年(昭和31)8月、支部設置に関する支部
規約が作成され、同時に島根県支部、静岡県西部支部が
結成され、翌年度には茨城県、新潟県にも支部が設置された。
会員数は1956年度351名、57年度372名と若干増え、
1950年代後半は300~400名で推移した
なお、多岐にわたる事業を効率的に進めるために、
毛皮業界が成長期に入った1964年(昭和39)頃、
協会内に機能的な部会を積極的に設置した。

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毛皮の歴史  協会50年の沿革 14(JFA50年史より)
苦難の中で大きな役割を
創成期の組織面の不備、会員数の激減など、つらい
状況の中でも、協会の果たした役割は小さくない。
良い商品を公正な価格で取引できるように、関係諸官庁
との折衝を含めて種々の事業を展開した。

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毛皮の歴史  協会50年の沿革 15(JFA50年史より)
原皮相場の目安を決める
協会の誕生は、毛皮ビジネスにも大きな影響を与え
た。協会設立後、原皮の相場の目安を協会内で話し合いで決める
ようになったこともその一つである。

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毛皮の歴史  協会50年の沿革 16(JFA50年史より)
それまでは売り手と買い手が互いに腹の探り合いをし、
各自それぞれが値を決めていた。協会設立後、さらに
1958年(昭和3)に「相場発表委員会」を設置し、
内外情勢を勘案し毎年十一月後半にイタチ、ウサギな
ど各種毛皮の相場の目安を発表し、会員が価格につい
て足並みを揃えるようになった。

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毛皮の歴史  協会50年の沿革 17(JFA50年史より)
毛皮の相場と、価格がいかに高価であったかを、例
をあげて示す。1956~57年頃は、金の卵として
地方から上京した中。高卒生の初任給は3000円程度だ
った。当時、国内でなめしていないイタチの原皮を買
うと、高いときは一枚千数百円した。ウサギは、良い
もので200~250円。なめしたり染色したりするとさらに高くなる。
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毛皮の歴史  協会50年の沿革 18(JFA50年史より)
毛皮のほとんどが対米輸出商品だった。戦後はイタチが
飛ぶように輸出された。1953年(昭和2)から1958年(昭和8)頃までは、
ウサギのピーターパンカラーを主に輸出していた。
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毛皮の歴史  協会50年の沿革 19(JFA50年史より)
種兎共進会を開催し毛皮増産運動に注力
前述したように畜産振興策の一つとして、国および
各都道府県では1950年以降、畜産共進会が積極的
に実施された。協会はこれら共進会に率先して協賛し
とくに優秀飼兎·種兎に関して賞状·賞杯を贈呈して
優秀毛皮の増産奨励、助成に努めた。
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毛皮の歴史  協会50年の沿革 20(JFA50年史より)
毛皮の生産額の減少傾向を改善するため、協会は1951(昭和26)
「毛皮増産委員会」を設置し、増産を会員および関連業界によびかけ、
連年継続して行うことにした。
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毛皮の歴史  協会50年の沿革 21(JFA50年史より)
当初は中央と地方組織の連携がうまくかみあわなかったが、
1952年(昭和27)以降、地方に毛皮増産協議会が設置される
ようになり、運動は次第に盛り上がっていった。
集められた資金は、毛皮増産の研究開発(たとえばイタチの
養殖の研究や優秀種兎の開発など)に資された。
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毛皮の歴史  協会50年の沿革 22(JFA50年史より)
また1966年(昭和41)10月には、農林·通産両
省の後援のもとに全国種兎共進会を主催した。各地か
ら118点の優秀な種兎が出品され、盛会であり種兎
の改良増殖、ひいては農山村経済の発展と輸出の振興
に寄与した。
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毛皮の歴史  協会50年の沿革 23(JFA50年史より)
猟期改正、殺鼠剤フラトール禁止運動
鳥獣保護を目的に、1950年(昭和25)9月に狩猟法が制定された。
毛皮業界にとって重大な問題となったのは猟期改定であった。
それまで12月1日(北海道は11月15日)解禁だったのが、
15日繰り下げられ12月15日(北海道は12月1日)に改定された。
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毛皮の歴史  協会50年の沿革 24(JFA50年史より)
毛皮獣、とくに良質のイタチは厳冬凍結前が捕獲期
だったため、解禁日の繰り下げによる影響は大きかっ
た。これは毛皮減産の大きな要因となり、輸出の減退に
つながる国家的損失となるという見地から、協会は
業界の死活問題だとして1952年(昭和27)「毛皮獣
猟期改正期成同盟」を結成し、継続して改正運動を
展開し、同年には北海道の解禁日を元の11月15日に
戻すことができた。
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毛皮の歴史  協会50年の沿革 25(JFA50年史より)
同改定で一部の獣の捕獲禁止が決められたが、業界で
は戦前から雌イタチの捕獲禁止など毛皮獣の保護に積
極的に参画しており、協会でもその趣旨の徹底に努め
た。また、農林省の管轄下にあることもあって、毛皮
一獣にとどまらず鳥類などの密猟禁止を会員を通じ積極
的に働きかけた。
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毛皮の歴史  協会50年の沿革 26(JFA50年史より)
これらの努力が実を結び、狩猟法が改正されたのは
十年後の1963年(昭和38)である。
1952年頃、北海道全土に野ネズミが発生し、農作物、
植林などが大きな被害を受け、翌年には本州各地にも
被害が広がった。そこで農林省は、その対策として
殺鼠剤「フラトール」を使用した。
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毛皮の歴史  協会50年の沿革 27(JFA50年史より)
この薬物は、極めてわずかな量で人畜を死滅させる
猛毒であり、被害は毛皮獣にも及び、1953年初め、
長野県ではキツネ105匹、タヌキ25匹、野ネコ3000匹、
イヌ2800匹が死んだと報告された。
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毛皮の歴史  協会50年の沿革 28(JFA50年史より)
野ネズミの天敵はイタチであるが、フラトールによ
るイタチの被害については正確な資料がなく詳細は不
明だが、地域によっては死滅に近い状態になったよう
である。同年の福島県のある村の被害が報道されてい
る。
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毛皮の歴史  
協会50年の沿革 29(JFA50年史より)
協会は、フラトールの使用は百害あって一利なしとの見地から、
被害状況、使用状況の調査を行い、1952年10月に被害防止策、
全面禁止策を具申し、その後継続して折衝を続けたが、
なかなか禁止には至らなかった。

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毛皮の歴史  協会50年の沿革 30(JFA50年史より)
最大の難問、物品税 関税問題解決への努力
協会が、長年にわたって多大の力を注いだのは、物
品税と関税問題である。
その努力は発足当時から連綿と続き、物品税の解決
をみたのは1987年(昭和62)である。同年に消費
税が導入されるとともに物品税は廃止された。
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毛皮の歴史  協会50年の沿革 31(JFA50年史より)
物品税は、言うまでもなく製造業者·小売り業者を一
納税義務者として物品に課す税で、日中戦争が勃発し
た1937年(昭和12)に戦時体制の確立のため消費
規制、賛沢抑制を目的に制定された、いわゆる戦時立|
法とも言えるものである。制定当時は数千種の物品が
対象となっていたが、協会発足時点では七十余種に減
少していた。政治的に圧力が強い業界の物品は、物品
税の対象から除外されたと言われている。
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毛皮の歴史  協会50年の沿革 32(JFA50年史より)
しかし、毛皮商品は物品税の標的となり、協会発足時の
税率は100パーセントだった。物品税は毛皮業界を圧迫し、
適正価格を設定できない大きな原因となった。
一着数万円もする和服が無税だった。帽子は1200円まで
免税だったが、毛皮が付くと税金が100パーセントかかった。
毛皮業界は、こうした矛盾と不合理を甘受しなければならなかった。
以降、政府に対する陳情は続けられていく。
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毛皮の歴史  協会50年の沿革 33(JFA50年史より)
1961年(昭和36)河野一郎農林相に「ウサギとラムに
限って無税とする」よう要望し、この2種は税率が下げられた。
ウサギ、ラムに限定したのは、国内で養殖生産されていた
からである。引き下げられたとはいえ、1970年代にも
これらのコート類には20パーセントの物品税がかかった
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毛皮の歴史  協会50年の沿革 34(JFA50年史より)

1962年(昭和37)毛皮の輸入が自由化され、関税もまた大きな
問題となってきた。関税問題は協会発足時から重視してきたが、
同時にジレンマもあった。というのは原皮の関税が撤廃されれば、
なめし・染色・縫製加工業者の仕事は増えるが、逆に製品に関する
関税が撤廃されれば、製品価格は大幅に低下し輸入が増大、上記の
加工業者の仕事はなくなるのである。
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毛皮の歴史  協会50年の沿革 35(JFA50年史より)
つまり毛皮業界でも川上と川下では関税撤廃による影響は異なり、
そのため毛皮業界として見解を一本化することが難しかった。
協会は、大量消費·生産の時代に入ったことを踏まえ、毛皮産業の
健全な基盤整備を目指していた。そのため安易に製品輸入に
依存する政策は打ち出せず扱いに苦慮していたのが実情だが、
関税問題に関して異なる立場の業者が一堂に会し前向きに
話し合う場として「関税問題研究会」を設けた。
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毛皮の歴史  協会50年の沿革 36(JFA50年史より)
消費拡大時代に対処し業界の発展に寄与
戦前から戦後の十年間を閉塞の時代とすれば、1960年代からは
成長の時代となった。そのきっかけとなったのは、
1962年(昭和37)の毛皮輸入禁止令の廃止である。
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毛皮の歴史  協会50年の沿革 37(JFA50年史より)
毛皮市場の成長期に入り、協会は急激な輸入増加に対処するため、
組織部会を強化し、毛皮業界の健全な発展を目指してさまざまな活動を
行った。主な事業は次のようなものである。
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毛皮の歴史  協会50年の沿革 38(JFA50年史より)
優良ミンク生産奨励
日本ミンク協会が主催する日本産ミンク共進会の
最高位受賞者に1970年度から賞状·副賞を授与
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毛皮の歴史  協会50年の沿革 39(JFA50年史より)

JFAタッグの制定
市場の拡大に伴う消費者の厳しい選別意識のニーズに応え、
毛皮に対する安心と信頼の目安として1977(昭和52)年に
JFAタッグを制定、協会の品位と権威に裏付けられた加盟社の
信用を表すシンボルマークとした。
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毛皮の歴史  協会50年の沿革 40(JFA50年史より)
品質管理の充実と品名の統一
輸入拡大により粗悪品、類似品、グレードとは不釣合いの価格の
商品が増えてきたことなどに対処するため、協会は、後述する

「鑑定委員会」「品質管理委員会」を設置し、不当な価格設定は

毛皮に対する消費者の信頼を損ね毛皮商品のイメージダウンを
招くとの立場から品質や価格に対する注意を喚起した。
また品名詐称を撲滅するため、1980年(昭和55)「品名統一委員会」を

設置し、正しい品名呼称を作成し、これの普及に努めた。

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毛皮の歴史  協会50年の沿革 41(JFA50年史より)
最大の事業 宣伝·広報活動
消費者にとって縁遠い消費財だった毛皮は、短時日のうちに
身近なファッション·アイテムとなった。半面、毛皮知識の不足や、
毛皮に対する誤認識もあり、協会は消費者に対する情報提供、
PR活動を本格化した。
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毛皮の歴史  協会50年の沿革 42(JFA50年史より)
ブームが引き金となりPR活動本格化
輸入自由化により毛皮ブームが起きたのは1963年(昭和38)
である。協会は翌年二月第一回全国毛皮業者大会を開催し、
この状況にどう対処するか、業界の今後のあり方を討議した。
大会は非常に有意義に終わり、宣伝事業が最も重要な事業で
あると位置付けられ、その実施が決議された。同年、そのため
「宣伝委員会」が設置され、次のような事業の実施を決めた。
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毛皮の歴史  協会50年の沿革 43(JFA50年史より)
①専門紙への記事掲載と広告出稿
②東京、大阪を中心に車内吊り広告の出稿
③電波媒体·雑誌への広告出稿
会員から「宣伝分担金」を集め、これらの所要経費
に充てることにした。
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毛皮の歴史  協会50年の沿革 44(JFA50年史より)
1964年度は500万円程の予算を組み、宣伝活動を展開した。
宣伝は小売り市場の拡大など大きな成果を生み、翌年度は倍増の
1000万円の予算を計上した。これ以後、東京毛皮商工業協同組合、
西日本毛皮商工業協同組合と共同で行うことになり、宣伝·広報事業は
質量ともに充実していった。
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毛皮の歴史  協会50年の沿革 45(JFA50年史より)
1975年(昭和50)頃からは宣伝·広報事業の年間予算は
2000万円に拡大し、それに伴い小冊子、絵ハガキ、単行本、
ポスターなど宣伝手法も多彩になっていった。その後は8ミリ映画、
スライド、VTRなどを用いた宣伝も行うようになる。
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毛皮の歴史  協会50年の沿革 46(JFA50年史より)
宣伝委員会が推進母体となって、毛皮普及に伴う素材志向から
デザイン志向の時代に即応して、「人材の育成」「デザインの高度化」を
目的に、1979年から「JFAデザインコンテスト」「JFAジャパンファー
コレクション」を十年間継続して実施した。同イベントにより毛皮は
ファッション素材·アイテムとして広く認知され、デザインレベルも大きく向上した。
現在は、高感度のデザイン、加工技術の高度化に向けたセミナーの開催、
さらに全国展開する百貨店に新しい毛皮の提案(2000年度は
アパレルやデザイナーに毛皮の活用を促すための素材や加工技術の提供、
“シーズンレスファー”を提案)などを行い、毛皮需要の振興を促す活動を
行っている。
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毛皮の歴史  協会50年の沿革 47(JFA50年史より)
IFTFから宣伝 助成金が得られた
IFTF(国際毛皮連盟、本部ロンドン)は毛皮団体の世界組織で、
1975年(昭和50)頃は25カ国が加盟していた。協会は1972年
(昭和47)に加盟している。加盟国からの会費のほかに、毎年各国で
行われるオークションのハンマープライスの5パーセントをオークション
会社から徴収し、連盟の運営資金、各国の毛皮製品の普及促進活動に対する助成
、アンチファー運動に対する防衛措置のための活動資金などに充てていた。

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毛皮の歴史  協会50年の沿革 48(JFA50年史より)
1973年(昭和48)から協会は役員を送り込み、1978年(昭和53)に宣伝、
広報活動助成を申請して連盟に働きかけた結果、二万ポンド(約900万円)の
助成金を受けることができた。翌年には四万ポンド(約2000万円)が認められ、
宣伝·広報活動は一層強化されることになった。
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毛皮の歴史  協会50年の沿革 49(JFA50年史より)
このほか賛助会員制度の下に、サガなどの海外毛皮生産者団体日本代表が
賛助会員として加入、情報交換が適宜適切に行われるようになった。
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毛皮の歴史  協会50年の沿革 50(JFA50年史より)
ファーファッションの創造へ展開
1970年代初め頃から、協会の加盟各社は毎年ファッションショーを
開催するようになった。また、FTFから助成金が得られるようになり、
宣伝 ·広報活動は資金面での支えもあって一段と充実していく。
1970年代後半になると、消費者の本物志向のニーズに対応するため、
ファッション業界、ファッショデザイナーと連携し、新しくファーファッ

ションを創造し提供する大々的な事業が宣伝活動の核となっていった。

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毛皮の歴史  協会50年の沿革 51(JFA50年史より)
主な事業、イベントは次の通り。
「JFAレセプション」(1978年、79年)
「ファーデザインコンテスト」(1979~88年、サガファー。オブ。
スカンジンナビア、スワカラ·プロモーション。センターなど協賛)
「JFAジャパンファーコレクション」(1980~90年、サガファー。オブ·
スカンジンナビア、スワカラ·プロモーション。センター協賛)
「JFAファーセミナー」(1982年、83年)


「JFAフォーラム」(1986年)

「ジャパングッズファッションフェア」(1988年)
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毛皮の歴史  協会50年の沿革 52(JFA50年史より)
毛皮の基本知識の不足からくる消費者対販売業者、
消費者対クリーニング業者·保管業者などのトラブル
に対し、消費者保護を前提に鑑定委員会が調査し公正
な判断を下し問題解決にあたっている。
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毛皮の歴史  協会50年の沿革 53(JFA50年史より)

毛皮の基本知識の不足からくる消費者対販売業者、

消費者対クリーニング業者·保管業者などのトラブプル

に対し、消費者保護を前提に鑑定委員会が調査し公正

な判断を下し問題解決にあたっている。

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毛皮の歴史  協会50年の沿革 54(JFA50年史より)
1978年(昭和53)には蘇製加工技術の強化、向上を目的に
「品質管理委員会」を設置した。同委員会は鑑定委員会の出した
報告書に科学的な裏付けを与えることとなり、また「品名統一委員会」も
設置し品名の統一に努力した。
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毛皮の歴史  協会50年の沿革 55(JFA50年史より)
鑑定委員会、品質管理委員会は日本皮革技術協会に協力を仰ぎ、
委員として北海道大学、東京農工大学、都立皮革技術センターの
先生方を招いた。さらに、1985年(昭和60)日本皮革技術協会と
共同で「毛皮技術委員会」を設置し、毛皮に関する諸問題に科学的に
対応し、解明、研究できる体制を作った。


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毛皮の歴史  協会50年の沿革 56(JFA50年史より)
さまざまな宣伝活動や、これら各委員会の活動を支援し、さらに
本物志向を強める消費者に毛皮に関する情報をより広く、より速く、
直接的に提供するため1989年6月「広報室」を設置した。広報室は、
一般消費者に、より身近にファーファッションを定着させる役割を果たした。
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毛皮の歴史  協会50年の沿革 57(JFA50年史より)
広報室内に設けられたインフォメーションセンターは、毛皮の上手な
買い方からトラブル処理まで、あらゆる質問に答え、業界と消費者の
健全な関係の保持に寄与すると同時に、毛皮イメージの向上に寄与した。
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毛皮の歴史  協会50年の沿革 58(JFA50年史より)
狂信的な。動物愛護運動,に対処
1980年代後半、欧米では狂信的な「動物愛護運動」が広がり、
毛皮排斥運動が巻き起こった。動物の権利、動物の福祉を標接する
一部の極端な運動家が消費者を扇動し、毛皮業界をはじめとする
動物関連産業に非難。中傷を浴びせ圧迫した。


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毛皮の歴史  協会50年の沿革 59(JFA50年史より)
これにマスコミ、評論家などが迎合し、毛皮産業の実態を歪める
誤った情報が氾濫した。毛皮業界が被った影響は甚大で、有名デザイナー
企業が毛皮素材のとり扱いをやめるなど、世界的な需要減退の要因と
なった。当協会は、「動物愛護運動」の掲げる狂信的なスローガンが
消費者の間で誤解を招く恐れがあることを憂慮し、現実の毛皮業界の

姿と世界共通で 推進している政策をアピールしていくことになった。

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毛皮の歴史  協会50年の沿革 60(JFA50年史より)
1991年(平成3)年に行われた第27回全国毛皮業者大会では、
動物愛護運動の現況が報告され、野生動物の捕獲を禁止した
CITES(ワシントン条約)のPRや毛皮産業の正しい知識などの
広報活動に力を入れることにした。
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毛皮の歴史  協会50年の沿革 61(JFA50年史より)
IFTF(国際毛皮連盟)をはじめとする世界の毛皮団体の広報活動もあって、
過激な動物愛護運動は1990年代の半ばには沈静化していくが、
なお膨大な資金力を駆使し、非現実的な動物愛護キャンペーンを展開する
組織も存在し、警戒を緩めることはできない。
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毛皮の歴史  協会50年の沿革 62(JFA50年史より)
ちなみに2000年2月には、最も極端な動物権利団体の一つと
されるPETA(動物の倫理的な処遇を目指す人々)は、ロンドン
ファッションウイークを標的に皮革製品のボイコット運動を
開始した。彼らは米国では漁業に反対するキャンペーンも
展開している。
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毛皮の歴史  協会50年の沿革 63(JFA50年史より)
PETA創立者である動物解放主義者は、「動物も人間も同列」と
主張し、動物を娯楽,教育·研究目的に使用したり、商業的
養殖等について一切反対し、あらゆる種類の動物の活用禁止を
求めている。1998年にキャンペーンに使用した資金は
1400万ドルと言われている。
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毛皮の歴史  協会50年の沿革 64(JFA50年史より)
1997年頃から有力デザイナーが再び毛皮を扱うようになり、
動物愛護運動の影響は払拭されつつある。
とくに2000~2001年秋冬は、ニューヨーク、パリミラノ·
東京コレクションでは毛皮作品が豊富に登場し、毛皮がイメージアップする
シーズンとなった。
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毛皮の歴史  協会50年の沿革 65(JFA50年史より)
「日本毛皮協会」に名称変更
1994年(平成6)6月27日、協会の名称を日本原毛皮協会から
「日本毛皮協会」へと変更し、それに伴い監督官庁は従来からの農林
水産省と、通産省の共管となった。毛皮業界をとり巻く環境の変遷と
毛皮の大衆化を考慮すれば、「原毛皮協会」から「毛皮協会」への変更
は必然的な結果と言えるが、製品団体として認知されることは長年の
悲願だった。
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毛皮の歴史  協会50年の沿革 66(JFA50年史より)
戦後、原皮の輸出産業から再スタートした毛皮業界は、消費時代の
到来とともに製品の輸入産業へと業態が変容した。原皮輸出産業時からの
主務官庁、農水省からは指導·助成が得られなくなり、実質的には主務官庁であるべき
通産省からも指導助成が受けられないという“仲間はずれ”扱いがしばらく続一いた。

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毛皮の歴史  協会50年の沿革 67(JFA50年史より)
この間、協会はさまざまな課題を自主努力で処理してきたが、
業界の拡大とともにそれも限界となり、業界内では処理しきれない
問題も増えていた。また毛皮製品が普及したのに「原毛皮」では
PR効果は薄いとの意見も多く、定款を変更(名称の変更を含む)し、

製品を扱う団体として認知を得ることが焦眉の課題となっていた。

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毛皮の歴史  協会50年の沿革 68(JFA50年史より)
心機一転、新しいスタートを切った協会と、その加盟社の権威を
確立するため「新JFAマーク」を設定し、さらに1948年(昭和23)に
創刊し協会の機関紙の役割を果たしてきた『毛皮新報』を廃刊、より幅
広い分野の高度な情報を業界に提供すること使命として、新たな機関紙
『JFA通信』(季刊)を発刊した。また、二十一世紀に向けて、強固な業界の

構築を目指し、次のような新しい事業を始動させることにした。

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毛皮の歴史  協会50年の沿革 69(JFA50年史より)
◎世界の毛皮業界との密接な連携
◎服飾専門学校との産学共同事業
◎長期的視野に立ったデザイナープロジェクトの展加盟社および
服飾関係学生を対象としたセミナー活動の強化
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毛皮の歴史  協会50年の沿革 70(JFA50年史より)
二十世紀最後の節目の年に、協会は奇しくも設立50周年を迎えた。
IT時代に突入し、あらゆる産業において“新産業革命が
進行している今、毛皮業界は他産業と同様に興亡の大きな岐路に立っている。
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毛皮の歴史  協会50年の沿革 71(JFA50年史より)

しかし協会の50年という歴史をふり返るとき、困難は常に
つきまとっていた。幾多の試練を乗り越え、それをバネに発展を
遂げてきた。グローバル化の中で、協会は海外毛皮団体との国際
的な連携を深め、高度化する消費者のニーズに応え、二十一世紀に

ふさわしい毛皮産業の構築を目指すべく活動を強化する方針を

打ち出している。
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